『大日本史料』 6編 3 延元元年正月~建武3年12月 p.167

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と同郡成しかは、すへて箱崎の松原とのみ稱して、博多の松原とはいはす、, 今は此松原那珂郡の内に有、箱崎八幡宮は西馬出村の東を以て、粕屋郡の, にや、僧萬里か梅菴集にいはく、超公叟は石城人、其境有烏津、有十里松とい, の記三十餘町とかけるは、むかしは八幡宮の後にも松原有て、猶長かりし, によりて十町はかりとかけり、石堂の橋の際より、馬出村の一里塚迄、十二, せしは今も又しかり、宗祗か指南抄に、此松原南北壹里と云傳たり、東西所, 町十七間、同所より馬出の東、箱崎の境迄、十五町十一間、すへて石堂の橋際, へり、馬出町より西は那珂郡に屬し、東は粕屋郡也、大江匡房記には、此松原, 皆那珂郡の境内に有て、箱崎に屬せす、され共名は古きによりて、箱崎松原, 此松原には、こと木一株もなし、匡房卿のあへて他木なし、只青松のみと記, にや、今は八幡宮の後より東には松林なし、昔は箱崎も那珂郡に屬し、博多, より、箱崎八幡の西の境迄、十五町十一間、是今此松原の東西の長さ也、匡房, 箱崎松原也、中華の書武備志等には、十里松といへり、日本人もかく名付し, の事を坤艮は三十餘町、乾巽七八町許、敢て他木なし、只青松のみと記せり、, 境とし、箱崎は粕屋郡に屬し、馬出村の西は那珂郡に屬す、然れは千代松原, 餘町, 東西三十, 南北一里, ノ地理, 箱崎松原, 延元元年三月二日, 一六七, 延元元年三月二日

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  • 餘町
  • 東西三十
  • 南北一里
  • ノ地理
  • 箱崎松原

  • 延元元年三月二日

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  • 一六七
  • 延元元年三月二日

注記 (23)

  • 598,628,66,2229と同郡成しかは、すへて箱崎の松原とのみ稱して、博多の松原とはいはす、
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