『大日本史料』 12編 44 元和八年正月~同年六月 p.342

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あり、其中に大きなる塚あり、是を根來塚と云、所の人にとへは、かの百人の兵を埋めし, ちし所と云、是、世に傳ふる丸馬出しといふもの也、しかれは、正純か城修し築くといふも、, 一定也、凡此二條ともに、正純いかてか、私には取計ふへき、去共、實に上の聽に達せさ, 所也と云、百人の兵殺せしは、一定也、又彼城に三日月堀といふあり、正純あらたにうか, らんには、其罪かろからす、誠に此等の事のみにはあらす、罪かうふるへきよしあるとな, ん、其事誰かは知へき、宇都宮より忍ひて歸らせ給ひしは、深き御心有事也といふ人あり、, 上候て死去也、然共佐渡守殿忠功大方ならす、權現樣御遺言も有之候二付、段こと被成御, 義、只今迄の御知行にて、被指置可被下候、御取立被下候はゝ、私の家筋斷絶可仕と申, 取立、宇津宮にて、十二万石迄被下、本多上野介殿殊外に氣荒き人にて、御治世の時分な, るに、宇津宮城堀普請等被致、所この虎口に大筒の鐵炮を置、百性には、菱と云物を役に, 其よし又二條あり、一條はさもありなん、一條は覺束なき事也、世に傳へて盆なきに似た, 一本多佐渡守殿遺言にて、私義只今迄段之結構に被仰付、難有奉存候、必私死後も、世忰, 〔雨雪の友〕上, り、, トニカヽル、十月一日ノ條ニ收ム、, ○下略、本多正信・正純父子逸話ノコ, シトノ説, 正純氣性暴, 元和八年四月二十日, 三四二

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  • トニカヽル、十月一日ノ條ニ收ム、
  • ○下略、本多正信・正純父子逸話ノコ

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  • シトノ説
  • 正純氣性暴

  • 元和八年四月二十日

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  • 三四二

注記 (20)

  • 1729,688,59,2154あり、其中に大きなる塚あり、是を根來塚と云、所の人にとへは、かの百人の兵を埋めし
  • 1497,691,59,2167ちし所と云、是、世に傳ふる丸馬出しといふもの也、しかれは、正純か城修し築くといふも、
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