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御合力米、毎年本俵二十俵ツヽ被下、御懇意之被遊候よし、寛永七年六月廿日病死、, の家老正木大膳亮時堯を預られ、其身不自由ならさる様に、養ふへしとそ台命ある、, 日置豐前を江戸の城にめされ、酒井雅樂頭・土井大炊頭を以て、里見, 幼より養ふて子とす、此甚十郎も、正保元年三月廿日、備前こて病死し、其子四人お, 是よりさき慶長十九年九月九日、安房國の里見安房守忠義、故あつて領地沒收せられ、伯耆國に流され、倉吉に住, 廿日、病にて死す、, り、兄は市之介、, 〔池田家履歴略記〕五元和八年壬戌、參府、幽正木大膳於因州、, 今年七月、, し、ことし六月十九日配所にて卒す、されは烈公、因伯を賜はらさりし前より蟄居にて、直に烈公に預られし成へ, 鳥取に至る、かくて扶助として、年毎に米貳千俵を烈公より惠ませ給ふ、寛永六年六月, 大膳子なけれは、弟主膳か子甚十郎を, 弟を又之介・權七郎・徳之介と云、其後慶安四年十月三日、, 同き十一月廿六日、妻子共、因州, 御城にめされ、池田家に預らるゝ旨、執政より命を傳へられしと云, 左右にわかれて、川上に往く事、一、二町、見るもの驚嘆す、, すと云て、ふたゝひ板戸三つかさね、川下よりをしのほる、水波, 年の月日を送り、ことし、安房守配所にて病死しけれは、大膳を江戸の, せたり、長サ三尺はかり、幅廣く、かさね厚し、これを擧るも容易ならす、然るを右の指, 大膳は長大壯力にして、當時等倫すへき者なし、寂莫のなくさめに、あら身〓尖刀をうた, ○中, 程〓早瀬の流におり立、近邊の民家より板戸を取寄、水にさかふて、其板を推すに、戸半より折たれは、水勢に堪へ, 見むとすれとも、今の身にては然るへからすとや思ひけん、力わさをする事少し、此長刀なりとて、今も池田家の武, ありて、駿河に參る、翌年神君薨し給ひけれは、同三年、江戸にめされ、櫻田に里見の屋敷あれは、こゝに住し、六, 缺, 三ツかけて持ち、前後左右に物を斬る眞似をして、五十も百も振事、細き竹をふるか如、輕けなり、人其力の程〓, し、大膳亮も主の安房守と同しく、伯耆に參りけるか、元和元年大坂落城の後、妻子引具し、駿府に參るへきの旨命, 器庫に存在せり、安房に居りし時、六月の頃、壯年の朋友を伴ひ、納凉の爲に河邊に逍遙す、晩に及て、〓に〓たけ, 略, 主計と改, 後市正又, 日, 俵ヲ與フ, 時堯ノ大力, 光政時堯ニ, 毎年米二千, 光政時堯ノ, 元和八年六月十九日, 一九〇
割注
- 御城にめされ、池田家に預らるゝ旨、執政より命を傳へられしと云
- 左右にわかれて、川上に往く事、一、二町、見るもの驚嘆す、
- すと云て、ふたゝひ板戸三つかさね、川下よりをしのほる、水波
- 年の月日を送り、ことし、安房守配所にて病死しけれは、大膳を江戸の
- せたり、長サ三尺はかり、幅廣く、かさね厚し、これを擧るも容易ならす、然るを右の指
- 大膳は長大壯力にして、當時等倫すへき者なし、寂莫のなくさめに、あら身〓尖刀をうた
- ○中
- 程〓早瀬の流におり立、近邊の民家より板戸を取寄、水にさかふて、其板を推すに、戸半より折たれは、水勢に堪へ
- 見むとすれとも、今の身にては然るへからすとや思ひけん、力わさをする事少し、此長刀なりとて、今も池田家の武
- ありて、駿河に參る、翌年神君薨し給ひけれは、同三年、江戸にめされ、櫻田に里見の屋敷あれは、こゝに住し、六
- 缺
- 三ツかけて持ち、前後左右に物を斬る眞似をして、五十も百も振事、細き竹をふるか如、輕けなり、人其力の程〓
- し、大膳亮も主の安房守と同しく、伯耆に參りけるか、元和元年大坂落城の後、妻子引具し、駿府に參るへきの旨命
- 器庫に存在せり、安房に居りし時、六月の頃、壯年の朋友を伴ひ、納凉の爲に河邊に逍遙す、晩に及て、〓に〓たけ
- 略
- 主計と改
- 後市正又
- 日
頭注
- 俵ヲ與フ
- 時堯ノ大力
- 光政時堯ニ
- 毎年米二千
- 光政時堯ノ
柱
- 元和八年六月十九日
ノンブル
- 一九〇
注記 (39)
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- 1517,1114,64,1793日置豐前を江戸の城にめされ、酒井雅樂頭・土井大炊頭を以て、里見
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