『大日本史料』 12編 45 元和八年六月~同年七月 p.192

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れ、俸米百俵賜ひ、權七郎と改め、小性組たりしか、後出奔して、家絶ぬ、, して、家絶ゆ、, 五月廿三日、源太兵衞と改む、元祿二年八月十一日、罪有て放逐せられ、家絶ぬ、, 正木氏こて大膳か末孫にあらさる者有、正木と云姓名に迷ひて、後人の誤らん事を思, り、其子を傳右衞門と云、祿七百石なり、傳右衞門死し、其子惣領甚右衞門に五百, て子とし、市之介と名乘せ、同六年六月三日、主計病て死し、市之介家を繼き、同七年, は、國清公の御時、慶長十四年、若原右京か計にて來り仕へ、大坂の軍にもしたかへ, 又之介・徳之介か事、詳ならす、早世せしも知へからす、, ふ故に、一興か聞傳し事をこゝに書載て、いさゝか其家乘を弁す、正木勝左衞門と云, 石、二男清兵衞貳百石分ち賜ふ、いくほとなく甚右衞門死し、子なく、家絶ゆ、清兵, 同二年十二月十二日、權七郎か子清吉めし出さ, も寛文十一年、病て死し、其子文助、四歳にして父か家を繼く、, 豕貧して大坂へ質物に預置けるか、其取かへすへき才覺成かたく、殊に遠境の事にて隙取うち、首尾不都合の事とも, に主計か弟權七郎は、別に貳百石賜ひ、曹源公の徒頭なりしか、貞享元年十二月狂氣, 貞享三年六月十四日、狂氣し腹切て死し、家絶ぬ、, か時より家に傳ふる重器, 衞, ありしを、保國公御覽有度よし仰有けれは、かしこまりたる旨御請申せしに、兼而, 一説に狂氣にはあらす、故あつて, 組なり、, 岸藤右衞門, く出奔せしと云, 蟄居し、柳陰と號す、とも云、, 出來、一分立かた, 傳右衞門家も絶けれは、文助に, し根本は、大膳, 兀祿, 一年に, 此權七郎追去せ, のす, 此時、幼少, 事は, 此ときも、岸, とも云, なれとも、, は相違なく賜るよし、仰あり、, 里見家の旗, 藤右衞門組と, 元和八年六月十九日, 一九二

割注

  • 一説に狂氣にはあらす、故あつて
  • 組なり、
  • 岸藤右衞門
  • く出奔せしと云
  • 蟄居し、柳陰と號す、とも云、
  • 出來、一分立かた
  • 傳右衞門家も絶けれは、文助に
  • し根本は、大膳
  • 兀祿
  • 一年に
  • 此權七郎追去せ
  • のす
  • 此時、幼少
  • 事は
  • 此ときも、岸
  • とも云
  • なれとも、
  • は相違なく賜るよし、仰あり、
  • 里見家の旗
  • 藤右衞門組と

  • 元和八年六月十九日

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  • 一九二

注記 (40)

  • 1300,688,62,1920れ、俸米百俵賜ひ、權七郎と改め、小性組たりしか、後出奔して、家絶ぬ、
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