『大日本史料』 12編 46 元和八年七月~同年八月 p.421

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と安全なりと思はるゝ程、市中は人の氣配無く、總べてが靜謐を極めたり、即ち、諸人, ぶる時は平地と言ふべく、見世物を催すに最適の地にして、如何に多數の人々なりとも, 衆、嘗て此の地に於ては見たる事無き程の群衆は、死刑執行の爲め設へられたる場處に, 海に圍まるゝは其の三方のみなり、他の一側面は陸續きなるも、山の麓なる大村及び肥, 集れり、市街より發する三乃至多くとも四本の道路は、岬の〓端に於て海に面す、其の, 地は低き海岸には非ず、寧ろ小さき丘の如く海面より高まりたるも、傍に聳立つ山に較, 容易に之を見る事を得るなり、何となれば、海に面する三つの側面の總べてより其の小, 〓端は、側面平坦にして低き爲め遠方より眺むれば恰も島に似るも、陸より隔てられて, 前に通ずる人通り繁き公道に依りて其の山より切離され且つ分隔てらる、されど、此の, は此處に來れり、斯くて此の日は、修道士等も深更市街を行くよりは眞晝に行くが一段, 傾斜を爲して、坂も緩かに下降して、自ら如何に多數の人々をも收容し能ふ劇場を成し, さき丘の頂は望見せられ、背後に聳ゆる山も然程切立つに非ず、險しきに非ず、程良き, るにせよ、信仰の裡に死すべしとの戒めならずや、されど、〓に立錐の餘地無き程の群, 居ればなり、而して此の時少くとも其の數三萬、即ち略こ長崎の全住民に匹敵する人々, 長崎ノ全人, 集ル者三萬, 長崎市中ハ, 口ニ匹敵ス, 人氣無シ, 刑場ノ景觀, 元和八年八月五日, 四二一

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  • 長崎ノ全人
  • 集ル者三萬
  • 長崎市中ハ
  • 口ニ匹敵ス
  • 人氣無シ
  • 刑場ノ景觀

  • 元和八年八月五日

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  • 四二一

注記 (22)

  • 304,673,59,2221と安全なりと思はるゝ程、市中は人の氣配無く、總べてが靜謐を極めたり、即ち、諸人
  • 1003,669,63,2232ぶる時は平地と言ふべく、見世物を催すに最適の地にして、如何に多數の人々なりとも
  • 1698,669,68,2230衆、嘗て此の地に於ては見たる事無き程の群衆は、死刑執行の爲め設へられたる場處に
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