『大日本史料』 12編 47 元和八年八月 p.300

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の説の如くなるべし、, は、かの義忠を以て家繼せらるべうもや候と申けれど、島田・米津これを用ゐず、こ, れに因て鮭延敢て仰に隨はず、山野邊又これに同じと云ふ、後の説は誠しからず、前, ヘアツケラレ、則チ居住セラレシ屋鋪ニテ、越前守病卒ス、其臣爲メニ建立セシ寺ナリ, 葛飾郡大堤村ノ鮭延寺ハ、出羽ノ山形ノ城主、七十萬石ノ地ヲ食ミシ最上義俊、其ノ政, 事ノ正シカラサルニ因ツテ、元和八年國除セラルヽニ及ンテ、其臣鮭延越前守、土井君, 子、世に遺る所は山野邊右衞門大夫義忠一人なり、義光が舊功忘れさせ給はざらんに, 鮭延寺, ト云、越前履歴ハ余未タ審ニセサレ共、最上氏ニ仕ヘテ信任セラレ、祿一萬五千石ヲ食, 郎義俊は天性愚かにして身又煩はしければ、家繼ぐべき器にあらず、故出羽守義光が, 〔許我志〕一, ツテ曰、, ミ、才智人ニ過レ、能ク事ニ幹タル人ナリト見ユ、最上家亡ル時、越前守ノ臣二十人謂, ハレ生涯ヲ終レリト、野史ニ見ヘタリ、今、古河雄藩ニ此二十人ノ中ノ後トモ聞へヘシ, 自分ハ一日代リニ二十人ノ許ニ養, 元和八年八月二十一日, ○中略、越前守、利勝ヨリ扶持サレシ五千石ヲ、家士一, 十人ニ頒ツコトニカヽル、下ノ明良洪範九ニ異事ナシ, 最上氏ヲ繼, 井利、勝ニ預, ケラル, 山野邊義忠, 鮭延秀綱土, ガントス, 元和八年八月二十一日, 三〇〇

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  • ○中略、越前守、利勝ヨリ扶持サレシ五千石ヲ、家士一
  • 十人ニ頒ツコトニカヽル、下ノ明良洪範九ニ異事ナシ

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  • 最上氏ヲ繼
  • 井利、勝ニ預
  • ケラル
  • 山野邊義忠
  • 鮭延秀綱土
  • ガントス

  • 元和八年八月二十一日

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  • 三〇〇

注記 (26)

  • 1286,718,53,528の説の如くなるべし、
  • 1515,718,64,2175は、かの義忠を以て家繼せらるべうもや候と申けれど、島田・米津これを用ゐず、こ
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