『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.583

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すくれき心けしやと、諸人大きに感したり、, 入ル、近習の侍起合て防戰ふうちに、義光, より小脇指にてさし通シ、は浮かへして首をかく、盜人とも大將をうたれ、, 事懇に申置、興禪寺にて切腹したり、其刻肥前身近く召仕候者兩人進み出、, る貞宗の太刀を取出し、此刀は、我十六之時、ならけ峠にて高名し、其場にて, 義光十八に成給ふ時、御身ちかき侍四五人つれ、武者執行に出給ふ、鎌倉に, 親ニゆつられし刀なり、今又今夜の働によつてあたふる也とて渡されけ, 今はかなはしとや思けん、東西へ迯散ル、義守大ニ悦ひ給ひ、代々家に傳は, 日鹿狩して上下草臥ゐたるをりを待得て、強盜數百人、夜中ニをし寄せ攻, 御供可仕由申たれは、肥前大きに制し留といへとも、聊も承引努す、迷〓黄, しき者と引組ム、のれは大力にて義光を取てふせ、首をかヽんとせしを、下, 泉の旅すから、御手を引可申とて、主ゟ先に腹かき切伏にけり、誠にたゑし, 兵衞、長岡〓馬、山家河内は、内々御供仕るへしと存ける間、妻子に暇乞し、諸, 寄手の後へ廻り、棟梁と覺, 義光の父出羽守義守、高湯と云所へ湯治し給ひ、一, 〔〓上記〕, り、, 于時十, ○諸録鮭網, 三十所收, 六歳、, 義光ノ剛, 義光武者, 家臣ノ殉, 死, 修行, 勇, 慶長十九年正月十八日, 五八三

割注

  • 于時十
  • ○諸録鮭網
  • 三十所收
  • 六歳、

頭注

  • 義光ノ剛
  • 義光武者
  • 家臣ノ殉
  • 修行

  • 慶長十九年正月十八日

ノンブル

  • 五八三

注記 (29)

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