『大日本史料』 12編 48 元和八年八月~同年九月 p.148

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ころ、家久これを攻ておほきに勝利を得しむね、伏見につげたてまつりしかば、なを, て言上し、其後もふたゝびおほせをうけたまはりて彼地にはせむかひ、翌年にいたり, 軍の雌雄を問せたまはむがため、直友御使にさされて薩摩におもむき、伏見にかへり, せられて御料の呉服をたまふ、五年、上杉景勝征伐のときしたがひたてまつり、關原, 家久に叛き、日向國庄内城に楯籠り、十二所の砦を構へ、軍士をして守らしむるのと, 三十石餘を加へられ、四年七月九日、さきに嶋津又八郎家久が家老伊集院源次郎忠眞、, 九年七月、下總國千葉郡のうちにをいて三百石の地をたまはり、月俸はおさめらる、, 和睦をとゝのへ庄内の城を請取、家久にさづけ、ことの始末を上聞に達せしかば、賞, 文祿四年七月より御近習に列し、慶長三年十二月、上總國周准郡のうちにをいて二百, はり、松平玄蕃允清宗が手にくはゝりて、駿河國興國寺の城を守り、十八年小田原御, 陣のときも、清宗とおなじくおほせをうけたまはりて同國蘆原船橋の番をつとむ、十, の役にも供奉に列す、御凱旋のゝち大津にをいて能勢攝津守頼次とゝもに、石田三成, 直友天正十三年正月めし出され、濱松にをいてはじめて東照宮に拜〓し、月俸をたま, 直治, 百石ヲ領ス, 近習ト爲ル, 加増, ニ於イテ三, 下總千葉郡, 使ス, キテ薩摩ニ, ノ叛亂ニ就, 伊集院忠眞, ケ原ニ參陣, 小山竝ニ關, 元和八年九月二十七日, 四八

割注

  • 直治

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  • 百石ヲ領ス
  • 近習ト爲ル
  • 加増
  • ニ於イテ三
  • 下總千葉郡
  • 使ス
  • キテ薩摩ニ
  • ノ叛亂ニ就
  • 伊集院忠眞
  • ケ原ニ參陣
  • 小山竝ニ關

  • 元和八年九月二十七日

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  • 四八

注記 (27)

  • 824,751,61,2164ころ、家久これを攻ておほきに勝利を得しむね、伏見につげたてまつりしかば、なを
  • 573,750,61,2169て言上し、其後もふたゝびおほせをうけたまはりて彼地にはせむかひ、翌年にいたり
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