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説に龜井六郎奧州へ下る節、三州迄來る所に、脚を損し、此所に止る、此子孫三州にあり、, 有之、二百人の同心を大形切殺す、ケ樣の事共も御科の一ケ條也、, 州ゟ兄共の跡を吊んと奧州へ下る、其刻、三州の擧母川へ來て、此所そと心得在住す、一, 擧母川の郷には滿蔓たり、取分吉良・足助の郷に鈴木氏の郷侍・百姓今以甚た多し、是を, 紺屋をして暮しける、其節の藍瓶今に鈴木三郎九郎家に傳ふと、鈴木亭伯説也、右の子孫, 書状もたせて何方へ可參と銘こに其者を遣し、其先こへ家來共遣し置て、行と忽ち首を切、, 餘の高也、此同心共を年貢催促の使として、領内中へ遣す、年貢集め得されは、不精也と, 跡にては其子も切捨たり、其死骸を埋む穴を掘て、根來塚といふ、宇都宮の宿の先に今に, 正純甚呵之故に、同心共其役義にあらさる由にて、渠等不隨指圖こは、正純是を腹立して、, 一七十人の與力には、三州鈴木黨と云あり、是は往昔鈴木三郎重盛、龜井六郎重家か弟、紀, 三州鈴木と號す、渠は御先祖徳川親氏公御代より隨身し、神君迄七八代の御普代也、天正, 一上野介正純に、興力七十人、根來組鐵炮同心二百人御預有り、是等をつれて十六萬三千石, 毎度御放鷹に成所に付、水戸の押として、其七十人の者を古金に被差置、上野介正純か支, 十八, 年秋關東御入國の時、此節七十人御供にて參りたりし、古金は御鷹場能所なれは、, 庚, 根來塚, 元和八年十月一日, 七三
割注
- 庚
頭注
- 根來塚
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- 元和八年十月一日
ノンブル
- 七三
注記 (19)
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