『大日本史料』 12編 50 元和八年十一月~同年是歳 p.31

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〳〵申候は、彼賀左衞門尉かくれなきつわものニ候間、五十や百にてたやすくうたれ, てをかけ申され候、其時分、鶴岡御城普請ニ最上ゟ馬〓り貳百騎あまり被參候、おの, 申間敷よし申ニ付而、拙者を申付、大あみと申所にて互こことばをかけ、鑓にて仕り, 一小關賀左衞門尉と申もの、子を越後へ落し、其身は山形へ心かけ罷のき候、對馬おい, 一關ケ原御合戰の年七月十九日ニ、東山もとへ先年追はうのもの共、もかみゟ打入、庄, 城きわまておしこみ、やきはらい申され候、是ニよつて下對馬自分のかん状拙者くれ, 内惣いつきをおこし、添川へたてこもり申候由つけ來り候、其夜ノ内ニ拙者參り取詰、, と申もの、町口へさいせんニつき、一番舟ゟ五番舟のつき申まて取詰、對馬町口押破、, 被申候、おの〳〵存候、, 次ノ日對馬罷出、無殘なてきりュ仕り被申候、是ニよつて直江山城殿御状持申候、, けんこニもち被申候得共、直江山城は陣を引被申、相角ニおよひ候、原美濃・中澤志, 摩・拙者才覺仕り、對馬うんをひらき、大山の城へ二度本意被申候事、, もかみやちの城ニ下對馬ろう城仕り被申候時、鐵炮のたまくすり無御座、七日ノ間城, 一四月廿四日ニ、出羽拾貳郡の人數を以龜崎をせめ申され候時、拙者・蓮沼半右衞門尉, 元和八年十一月是月, 三一

  • 元和八年十一月是月

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  • 三一

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