『大日本維新史料 編年之部』 1編 6 弘化4年6月~同年8月10日 p.55

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熟察して、深く心を痛しむ、, を開のん、爭端ゟ兵亂を起す、兵亂は國の荒廢を招く、二百餘年來我國の人、貴國留居の恩惠を謝し奉んか爲に、貴國, を致す勿れ、, ハ他のいはれありて、貴國の海濱を訪ふ船あらん時の處置ハ見へす、是等の船を冒昧に排擯したまはゝ、必しも爭端, る所の意ハ、難風に逢ひ、或ハ食物薪水リ乏しくして、貴國の海濱に漂著する船の處置のみにあり、若信義を表し、或, をして此災害を免しめんと欲す、古賢の言に曰、災害なからんと欲せは、險危に臨む勿れ、安靜を求んと欲せは、紛冗, と、古よりも多なりゆきて、是か爲に其舶兵のやのと、貴國の民と爭端を開き、終にハ兵亂を起するに到らん、こ」れを, ○謹而古今の時勢を通考するに、天下の民ハ速ニ相親むものにして、其勢ハ人力のよく防所に非す、蒸氣船, ○貴國も亦此の如き災害に罹り給はらんとす、凡災害ハ倉卒に發するものなし、今より日本海に異國船の漂ひ浮むこ, の如く互に好を通する時に當て、獨國を〓して萬國と相親さるは、人の好みする所にあらす、貴國歴代の法に、異國の, ○殿下の聰明にまします事ハ、暦數千八百四十二年, 人と交を結ふ、とを嚴禁しゐふハ、歐羅巴州にて遍く知る所なり、, 殿下高明の見ましませハ、必其災害を避るとを知り給ふ砲し、我も亦安寧の策あらんを望む、, 老子曰、賢者位り在ハ、特に能治平を保護す、, を創製せるより以來、各國相距なと遠て、猶近きに異らす、斯, 丹に讀聞かせし令書ニ因てなり、, 貴國の八月十二日、, に至れり、, 其書中に異國人を厚遇すへき事を詳に載するといへとも、恐くは尚未た盡さる處あらん〓、其主とす, 取に古法を堅く遵守して、返て亂を釀さんとせん、其, 長崎奉行の前にて甲必, めて、風雨に拘らほ自由に進退せしむる船なり、文化四年丁卯の歳製すとい〻, 壬買に當るなり, く、信義を思召難有儀, 十三日とあり, 形似寄候へハ、〓る其旨を相心得、不慮の過無之樣心掛、通商致學き曰、文政八年申渡し置候處、當今何に寄らす、御仁惠を被施〓, 按にるに、或七, 目注、天保十三年, 日注、蒸氣船は, よく〳〵辨へく候, を設け、石炭を焚て蒸氣筒の中の水を沸騰して、其蒸氣によりて水車を旋轉せ, 水車と蒸氣筒, 自注、令書に曰、甘船日本の中含へ渡來る時、打拂方の儀嚴ら取計ニ付、阿蘭船も長崎の外へも乘寄るはこと有間ニも無之、船, 自注、此意に當ルヘき語老, ゴリ以衛八、黒國人渡來候共食物新水等を乞ふの類ハ打拂ハす、乞ふ旨万任せ、臨だ可爲致事ニ取計ふの間、因ては和蘭陀人も心安く通商致へく候、外國の者たり共, 子に見へす、後考を待〓、, この難有思名ニ付、外國のものエも難風ニ逢ひ、漂流等ニる食物新水を乞ふ迄に渡來候を、其事情に拘ら。、一圓に廻を打放し候い、、〓8へ對し議を機失候滅體ニ, へ對し信義を磯失候御處置ニ付、今, 、く候、外國の者たり共加程に迄厚, 弘化四年六月五日, 五五

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  • めて、風雨に拘らほ自由に進退せしむる船なり、文化四年丁卯の歳製すとい〻
  • 壬買に當るなり
  • く、信義を思召難有儀
  • 十三日とあり
  • 形似寄候へハ、〓る其旨を相心得、不慮の過無之樣心掛、通商致學き曰、文政八年申渡し置候處、當今何に寄らす、御仁惠を被施〓
  • 按にるに、或七
  • 目注、天保十三年
  • 日注、蒸氣船は
  • よく〳〵辨へく候
  • を設け、石炭を焚て蒸氣筒の中の水を沸騰して、其蒸氣によりて水車を旋轉せ
  • 水車と蒸氣筒
  • 自注、令書に曰、甘船日本の中含へ渡來る時、打拂方の儀嚴ら取計ニ付、阿蘭船も長崎の外へも乘寄るはこと有間ニも無之、船
  • 自注、此意に當ルヘき語老
  • ゴリ以衛八、黒國人渡來候共食物新水等を乞ふの類ハ打拂ハす、乞ふ旨万任せ、臨だ可爲致事ニ取計ふの間、因ては和蘭陀人も心安く通商致へく候、外國の者たり共
  • 子に見へす、後考を待〓、
  • この難有思名ニ付、外國のものエも難風ニ逢ひ、漂流等ニる食物新水を乞ふ迄に渡來候を、其事情に拘ら。、一圓に廻を打放し候い、、〓8へ對し議を機失候滅體ニ
  • へ對し信義を磯失候御處置ニ付、今
  • 、く候、外國の者たり共加程に迄厚

  • 弘化四年六月五日

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  • 五五

注記 (41)

  • 1620,682,47,514熟察して、深く心を痛しむ、
  • 906,687,55,2220を開のん、爭端ゟ兵亂を起す、兵亂は國の荒廢を招く、二百餘年來我國の人、貴國留居の恩惠を謝し奉んか爲に、貴國
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  • 811,684,56,2221をして此災害を免しめんと欲す、古賢の言に曰、災害なからんと欲せは、險危に臨む勿れ、安靜を求んと欲せは、紛冗
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