『大日本維新史料 編年之部』 2編 1 安政1年1月~同年1月20日 p.716

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は無法ニ浦賀へ來候事ゆへ、容易ニは出帆致間敷、乍去おろしや願さへ御取受無之上は、此, 定之中ニ異船乘込候へば不都合ゆへ、不得已右樣評決候事、, 上あめりか如何程ニ願候とも、決ふ御取受には難相成、此處能々考候へは、此度之事、實ニ不, て、懸念候樣子ゆへ、左候はゞ異船は板木、失火は鐘と定可然哉との相談ニ相成候、小田原評, 正月十八日登城、老中へ逢、急登城合圖之事咄候處、太皷は西丸時の御大皷と聞違ひ可申と, へ選候事と存候へ共、井戸對馬は何の廉にて選候哉と伊勢守へ尋候へは、是は穿鑿になれ, ゝあめりか承伏致間敷、おろしやは最初長崎へ來候事ゆへ、先ツ穩ニ出帆候へ共、あめりか, 聞も有之、且又おろしやゟもあめりかを丁寧ニ扱候へは、おろしや憤り可申、麁末ニ扱候は, 一此度墨夷の應接使、林大學頭始メへ被命候儀、最初より我等へは相談無之候、林は學者ゆ, 候者ゆへ遣し候よし、尤左衞門尉長崎へ發足前、伊勢守へ申聞候は、留守中萬一之節は、對, 長崎の別紙類一覽いたし候處、魯夷は先ツ退帆ニ相成候へ共、右之内いきりす軍艦差向候風, 〔前水戸藩主徳川齊昭書翰〕, 容易候處、去年と違ひ、世上わるく見こし候ふ、人氣如何にも引立不申、萬一彼より俄ニ兵端, ○正月十九日老中阿部正弘等宛, 馬守の外ニは人無之と申候由、, 水戸藤田家舊藏書類所載, ○藤田東湖書案, ノ件, ノ振合, 米使應接掛, 米使應接振, 阿部ニ質ス, 選定ニ關シ, 露使應接ト, ノ件, 急登城合圖, 安政元年正月十六日, 七一六

割注

  • 水戸藤田家舊藏書類所載
  • ○藤田東湖書案

頭注

  • ノ件
  • ノ振合
  • 米使應接掛
  • 米使應接振
  • 阿部ニ質ス
  • 選定ニ關シ
  • 露使應接ト
  • 急登城合圖

  • 安政元年正月十六日

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  • 七一六

注記 (28)

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