『大日本維新史料 編年之部』 2編 4 安政1年2月11日~同年2月23日 p.688

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御領え入込候節者御改有之候はゝ、壹万八千計に而入込候、已上、, る、誠に恐るべきかな、世の言わざに申通り、天に口なし人を以て言はしむと、人既に南部, 野田領百姓の輩、誰徒黨となく、其勢五百余人集り、六人を大將として白布の半天に赤の, は若殿を始め附々の役人共、日々におごり惡逆をなし、下萬民の歎き言計なし、仍而外に, 右躰之者共是有、都合六人日々に是を愁候所、村々の百姓口々に御上の政事を言立〓りけ, 備の者也、又壹人は六拾四歳に而同樣の侍也、又壹人は貳拾八歳に而劔術指南致者也、是, 一嘉永六年丑ノ六月十一日より、南部野田領畑村・赤根村・袋村右三ケ村に而、大將六人の, 種ケ島四拾丁、かます背負六拾人竹杖に鑓を仕込み、のぼりの幡に小-と書たる幡壹本、, 女房諸共に被追拂、野田の百姓に相成候得共、農業はせず、只武道を心掛け候得共、御國に, 内壹人者七拾三歳に而、已前者千石余の侍也、親殿少將樣の御代に御暇出候者也、智勇兼, たすきをかけたるもの百人、淺き布半天にたすきを掛たる者三百人、何れも樫の棒を持、, も已前は千五百石侍也、此者は親世に有時、南部樣え御諫言申上、其節御手討に相成、子供, 右者山田に而行列の次第也、是より人數釜石迄都合三万余之處、皆々來ル者多有故、仙臺, 亦赤根染の幡壹本、白地に壹番と書たる幡壹本、都合三本なり、夫より野田の村々壹軒も, 一平人, 一平人八千人, 八千人, ニ一揆起ル, 一揆ノ首領, 南部野田領, 安政元年二月二十三日, 六八八

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  • ニ一揆起ル
  • 一揆ノ首領
  • 南部野田領

  • 安政元年二月二十三日

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  • 六八八

注記 (22)

  • 1627,616,61,1617御領え入込候節者御改有之候はゝ、壹万八千計に而入込候、已上、
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