『大日本維新史料 編年之部』 3編 1 安政5年1月 p.396

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事も伺ひ濟さはすむへかりしかと、御家ニ取至重至大の御事柄なれは、老臣等か申上るま, し筋の、かく迄事竟へ給ひぬる御歡ひもかす〳〵申させ給ひて、さていよ〳〵一橋殿に定, ぬ心地し給ひけれとも、備中殿の申さるゝ處も然るへき理なれは、又宣ふよしもなけれ, 候ひしなり、おのか刑部卿殿の御事を餘所ならす思ひ奉る事ハ、, には、仰セ出さるへきとの御〓にて候ひきと、面正しく申されける故、公も今少事足ら, ど、尚も打入りてさま〳〵に心問ひ給ふに、備中殿もさして夫とも申されぬと、御人柄の, り給ひしかと問はせ給ふに、備中殿儲君を建られん事は、老臣初議して申上たれとも、將, 軍家を指置奉りて、御人柄をかなたこなたと定め申さん事は、いと憚りなる事に候へは、, 被爲在、已こ伺濟にもなりて候ひぬと申さる、公是迄度々備中殿をそゝのかし責め給ひ, て御對面之上、去ル十七日御伺取の御模樣を問はセ給ふに、備中殿、建儲之儀は思召も不, ゝに直に聞しめし許給ひては、事の樣輕々しはれは、態と御英斷を仰き待つさまに申上置, 正月廿日、備中殿には明日京都へ御發途ニ付、今朝御登城ありて、御成後、暫時御退出あ, り、還御之上、再ひ御登城有之由故、公は御成後御歸邸あるを御待つけ、御出あり、さ, こは台慮の英斷こ任せ奉りたる事にて、僕京都御用も事故なく濟て、僕か罷歸りたる上, 正月十九日, 訪フ, リ但シ人柄, 台聞ニ達セ, 建儲ノ事ハ, 慶永堀田ヲ, ハ上申セズ, 慶喜ノ人物, ヲ稱揚ス, 安政五年正月十四日, 三九六

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  • 訪フ
  • リ但シ人柄
  • 台聞ニ達セ
  • 建儲ノ事ハ
  • 慶永堀田ヲ
  • ハ上申セズ
  • 慶喜ノ人物
  • ヲ稱揚ス

  • 安政五年正月十四日

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  • 三九六

注記 (25)

  • 471,638,68,2226事も伺ひ濟さはすむへかりしかと、御家ニ取至重至大の御事柄なれは、老臣等か申上るま
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