『大日本維新史料 編年之部』 3編 2 安政5年2月 p.762

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筑州を可被仰遣とおほし定め給へり、, てケ樣之次第と相成候之、關東の御耻辱無此上、扨々殘念千萬の事に候と、〓をハラ〳〵, 其事畢ふ直ニ參られたる由ニて、暮近くなりて參上あり、扣所こふ御懸合出て、頓て公, の状情如此なる事を、海防懸の面々なと委敷知て候はんか難計候へは、御存之同志永井玄, も、是程之儀とも不奉存、豈圖らんやと愕然たる有樣にて、御答は何とも申上兼候との事, 蕃頭儀は決ふ麁忽無之者候へは、極密此者へ謀り見候より外に思ひよりたる事は候はす, 尋あり、書面之條々眉を顰めて披見の上、何か彼是之失策にて、遷延之由には承り候得と, 御逢あり、筑州の事なれはとて、先日來の左内か状共其儘に御見せありて、意見之趣を御, と落され、扨申上られしは、筑後守當時の勤柄ニあはセんすべも候はす、又閣中の事情も, りしに、今日は安府四ツ谷の邸にて文武之考課ある故、夫を見分として早朝より被罷越、, 承知仕りかたく候へは、策略とては勿論あるへくも候はす、乍併深く相考候に、京師裏面, にて、良久瞑目沈吟し、備中殿の事候へは、斯くあらんかと兼ふ恐懼いたし候ひしか、果し, 先ツ廟堂の近况を御探索ありて、其勢ひによりて又御工夫も可被遊と御相談の爲、例の水, 三月十日、今朝仰によりて、田安御舘退出ゟ此御館へ參るへき旨を、師質ゟ水筑州へ申入た, と申上る、公も御考之處、夫もよからんと思召御旨ゆへ、夫ニ付ては此書面無ては適ひ, 堀田ノ失敗, ハ殘念千萬, 就キ談ズ, 慶永水野忠, 永井尚志ト, 相談セン, 徳ト京報ニ, 安政五年二月二十九日, 七六二

頭注

  • 堀田ノ失敗
  • ハ殘念千萬
  • 就キ談ズ
  • 慶永水野忠
  • 永井尚志ト
  • 相談セン
  • 徳ト京報ニ

  • 安政五年二月二十九日

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  • 七六二

注記 (24)

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