『大日本維新史料 編年之部』 3編 3 安政5年3月1日~同月20日 p.454

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ありて宜しからんと申上られたり、此節京都の景況御尋ありしに、丹州抔へも事情の分り, ゆへ、強て申候へは却る事を敗るへけれは、僕は是迄こた口を鉗候得は、鵜殿民部へ御談, 昨夢紀事, 二伸、時下御保重專一奉存候、靱負・平格へも篤宜御一聲可被下候、, ありしに、丹州も御尤なる思召の由にて、伊賀殿迄申達せられしに、今日となりてさる事, とにかくに東の方のこひしきも君かいますによりて成けり, 心中御察可被下候、, たる事は更に聞えねは、當惑せるのみにて、約るところ御家門方之内御前樣なと御上京下, の歸府あらるゝ迄は、阿州殿も御滯府あるへき樣に被成度と、今朝於營中土岐丹州へ御談, ありて、今日爲御禮御登城なり、公も御一處ニ西城之事を被仰立たる御事なれは、備中殿, 三月十五日、如例御登城あり、阿州殿にも當年早御暇御願ありて、去ル十二日御暇の上使, 叶ふましき由を申されたる由こた、丹州大ニ失望して、伊賀殿は此頃疳氣指募り被居候, されず候ては、事果申間敷〓とおもはるゝよし、閣老衆には更ニ無策にて、空々と京便を, 留候、頓首謹白、, 彌生十六日, 安政五年三月十五日, 慶永蜂須賀, 齊裕ノ歸藩, 延期ヲ謀ル, 安政五年三月十五日, 四五四

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  • 慶永蜂須賀
  • 齊裕ノ歸藩
  • 延期ヲ謀ル

  • 安政五年三月十五日

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  • 四五四

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  • 457,644,59,2217ありて宜しからんと申上られたり、此節京都の景況御尋ありしに、丹州抔へも事情の分り
  • 573,640,60,2221ゆへ、強て申候へは却る事を敗るへけれは、僕は是迄こた口を鉗候得は、鵜殿民部へ御談
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