『大日本維新史料 編年之部』 3編 3 安政5年3月1日~同月20日 p.690

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は不指出して、封の儘取歸りて返上せり、, 以、廟廷之樣子探索して申上へき旨を被仰遣たるに、右御請、如左、, 一、此日横山猶藏を、土佐殿へ被召被仰含事共あり、是は明日京都へ發足せる故なり、, の事は左内か思はん樣に謀ふへきよしを、申遣はすへき御評議なりしが、昨朝の京報にて, を伺ひたるニ付、關東種々の事情を申含めて再ひ指登され、猶藏か申旨を斟酌して、京地, 又永司農へ相越候處、十二日之急檄、昨日到來之次第密話も有之、右は不容易模樣柄こ, 三月十九日、先比京都の形勢頗艱難なりし故、左内ゟ横山猶藏を指下して、京地の御評議, 一、昨日、永鴻臚の申上られたる京都の次第共、公御憂慮の餘り、今曉水筑州へ御直書を, 尉等へ之御直書も御認にて、猶藏に持セ上せしかと、是は左内か思ふ由ありて、先々へ, 但、左内ゟ申越せし蓮王への御直書も、永鴻臚へ御相談の上にて御認、且廣橋亞相・川廷, あ、御當家之御稜威墜地ニ可及次第、御〓憂之餘り一旦玉床へも被爲附候處、御寢も被, 今曉丑刻之御染翰奉拜誦候、中略、扨、昨日は靱負子被參、其後之御模樣も相伺、難有、尚, 遊かたく、御執筆之趣こあ、縷々被仰下候趣、實ニ恐入候義共、今日と相成候なも猶策略, 形勢一轉せしかと、猶東地の事も詳悉するこそ宜かるへけれと、猶藏は今朝京地へ發足せ, り、, 書翰, リ慶永へノ, 横山猶藏京, 水野忠徳ヨ, 地ニ發足ス, 安政五年三月十八日, 六九〇

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  • 書翰
  • リ慶永へノ
  • 横山猶藏京
  • 水野忠徳ヨ
  • 地ニ發足ス

  • 安政五年三月十八日

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  • 六九〇

注記 (22)

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