『大日本古文書』 伊達家文書 10 伊達家文書之十 p.610

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

きし事、台聽に達をしむ手、老中お不せをぼ〓ふ、四年閏十二月二十四日陸奧國の御料伊, 安永元年四月朔日、さきに行人坂より出火し、所々延燒に及ひ、増上寺あやうかりしを防, 達楢葉兩郡乃内にをいて六万石餘の地をあすをらる、八年四月二十九日孝恭院殿乃御, ハ日少將にすゝむ、八年四月十六日はしめて入國のいとジゑまは〓、十九日この事を謝, の御畫二幅戊まふ、八年十月二十一日心觀院殿乃御遺物爲右筆の古今集戍〓まふ, 十八日陸奧守そあらしむ、二十八日襲封を謝し、家臣九人御前に出る、後例とす、十二月十, いよ〳〵其む手を心うへきよしお不せ下さる、六年八月二十一日浚明院殿親筆龍虎, 遺物繪鑑をたまふ、天明四年十二月二十五日、居郎燒亡せしにより上使もて問せたまふ, 臣等にも物をしまふ、十二月十八日特旨もて中將にすゝみ、二十八日從四位上にの不る, 年六月十五日、關束川々の普請を助〓つとめしにより、時服五十領を〓まひ、七月三日家, 六年二月十八日うち〳〵鶴捉乃の大鷹北賜ひ、歸國乃とき放鷹をゆるける、十月二十六日, 五年六月四日、父宗村かつてよ〓重村をあつて利根姫君じ養子と〓ためをきしう面は, すお乃とき、三原正家の御刀を〓まふ、九年三月十五日、國にあ〓て痘瘡を患ふるより, ところの御料所をかへしにさめら〓、ならひに火乃番等の事も用捨をくはへらかへき, 奉書もて箱肴をたまふ、十三年三月十七日奉書もて母の喪を〓法手けせたまふ、明和四, によりてなり、二年六月二十三日致仕し、二十五日左兵衞督にあら〓む、八年四月二十二, ずとはせらお、二十三日卒す、年五十五、徹山玄機〓明院と號す、二十六日奏、者番土井大炊, 浚明院殿の御遺物周防清綱乃御脇指をたまふ、寛政元年四月十二日、先にあ〓〓〓まふ, 日、病篤きのよしきこしめさり、奏者番松平周防守康定を下されて、御〓つ〓をかうぬる, 二十九日、奏者番松平周防守康福をしブ父か喪をとぬらはせたまふ、七月九日遺領を繼, む子恩命をかう名れ、これ連年國用こゝろにまのせさる乃よし、きこしめしをよはる, このとき若君よ〓も同人をしでた〓手させたまふ、御〓所よりは老女乃奉文戍も, 助秀乃御刀をたまは〓、從四位下侍從に〓任し、美作守と称し、重村とあら〓む、六年五月, 五年九月二十八日御前にをいて元服し、御諱字ならひに備前, 寛保二年仙臺そ生る、延享四年九月二十一日嫡子となり、寶暦二年四月朔日はしめ, 初國村義八郎藤次郎美作守陸奥守侍從從四位下左少將左中將, 厚信院殿に拜〓す、, 母せ久米之丞におなし、嫡母の養ひとなま、, 時に十, 附録, 六一〇

割注

  • 時に十

  • 附録

ノンブル

  • 六一〇

注記 (31)

  • 779,721,46,2113きし事、台聽に達をしむ手、老中お不せをぼ〓ふ、四年閏十二月二十四日陸奧國の御料伊
  • 837,717,46,2120安永元年四月朔日、さきに行人坂より出火し、所々延燒に及ひ、増上寺あやうかりしを防
  • 706,717,46,2124達楢葉兩郡乃内にをいて六万石餘の地をあすをらる、八年四月二十九日孝恭院殿乃御
  • 1304,722,43,2115ハ日少將にすゝむ、八年四月十六日はしめて入國のいとジゑまは〓、十九日この事を謝
  • 896,722,45,2114の御畫二幅戊まふ、八年十月二十一日心觀院殿乃御遺物爲右筆の古今集戍〓まふ
  • 1362,721,44,2116十八日陸奧守そあらしむ、二十八日襲封を謝し、家臣九人御前に出る、後例とす、十二月十
  • 954,728,45,2109いよ〳〵其む手を心うへきよしお不せ下さる、六年八月二十一日浚明院殿親筆龍虎
  • 647,715,45,2123遺物繪鑑をたまふ、天明四年十二月二十五日、居郎燒亡せしにより上使もて問せたまふ
  • 1069,718,44,2125臣等にも物をしまふ、十二月十八日特旨もて中將にすゝみ、二十八日從四位上にの不る
  • 1128,712,44,2125年六月十五日、關束川々の普請を助〓つとめしにより、時服五十領を〓まひ、七月三日家
  • 589,719,46,2116六年二月十八日うち〳〵鶴捉乃の大鷹北賜ひ、歸國乃とき放鷹をゆるける、十月二十六日
  • 1013,718,43,2121五年六月四日、父宗村かつてよ〓重村をあつて利根姫君じ養子と〓ためをきしう面は
  • 1244,721,44,2118すお乃とき、三原正家の御刀を〓まふ、九年三月十五日、國にあ〓て痘瘡を患ふるより
  • 473,725,46,2110ところの御料所をかへしにさめら〓、ならひに火乃番等の事も用捨をくはへらかへき
  • 1186,718,44,2111奉書もて箱肴をたまふ、十三年三月十七日奉書もて母の喪を〓法手けせたまふ、明和四
  • 357,723,47,2109によりてなり、二年六月二十三日致仕し、二十五日左兵衞督にあら〓む、八年四月二十二
  • 182,716,48,2119ずとはせらお、二十三日卒す、年五十五、徹山玄機〓明院と號す、二十六日奏、者番土井大炊
  • 530,718,47,2118浚明院殿の御遺物周防清綱乃御脇指をたまふ、寛政元年四月十二日、先にあ〓〓〓まふ
  • 298,726,48,2111日、病篤きのよしきこしめさり、奏者番松平周防守康定を下されて、御〓つ〓をかうぬる
  • 1420,724,45,2117二十九日、奏者番松平周防守康福をしブ父か喪をとぬらはせたまふ、七月九日遺領を繼
  • 414,725,45,2099む子恩命をかう名れ、これ連年國用こゝろにまのせさる乃よし、きこしめしをよはる
  • 241,719,46,2118このとき若君よ〓も同人をしでた〓手させたまふ、御〓所よりは老女乃奉文戍も
  • 1478,718,45,2122助秀乃御刀をたまは〓、從四位下侍從に〓任し、美作守と称し、重村とあら〓む、六年五月
  • 1537,1345,43,1490五年九月二十八日御前にをいて元服し、御諱字ならひに備前
  • 1595,708,45,2077寛保二年仙臺そ生る、延享四年九月二十一日嫡子となり、寶暦二年四月朔日はしめ
  • 1761,775,46,1951初國村義八郎藤次郎美作守陸奥守侍從從四位下左少將左中將
  • 1536,721,44,457厚信院殿に拜〓す、
  • 1655,719,42,1038母せ久米之丞におなし、嫡母の養ひとなま、
  • 1557,1183,28,146時に十
  • 1929,701,43,131附録
  • 1930,2435,38,120六一〇

類似アイテム