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多武峰縁起一卷, に學ひ、當山に住し、延喜十九年檢校の官符を蒙り、, はその寺に傳はる舊説もあるへけれと、今これを辨別しかたし、鎌足薨するの後その子, はしめて維摩會を開きし事、寶性僧都談岑玄念法師により、延暦寺第十二座主玄監和尚, 今その一二を抄録す、卷末、以上御寶物百五十五櫃としるす、按るに、林宗甫か大和名, 僧定慧寺を建、塔を起すの事をのす、右大臣不比等平城におゐて興福寺の伽藍をたて、, 村上帝の師となり、天暦中談岑座主に轉し、少僧都に任し、卒して謚號を賜ひ法眼とな, 撰者をあらはさす、日本紀以下雜史に出たる大織冠の事を皆漢字をもつてしるす、中に, り、談岑の門人をもつて永く檢校となし、叡山の門人をもつて永く座主となし、兩處の, 所記に開封の勅使むかしより數ケ度あり、その規式舊例のことく、寛文六年三月四日, 九曰、大佛開眼御筆一本、文治元年八月廿八日開眼法皇用之、天平之筆と軸に彫付なと、, ゝる時より出たるにや、しらす、, 屋氏、同七曰勅符あり、その時も右の勅使いつれもおなしといへり、しからはこの書か, 破損内見の時開封の勅使日野右中辨、上使川口氏のなにかし、奉行は南都の所司代土, 刻本, 一册, (利次), 撰者ヲアラハ, 日本紀以下雜, 史ニ出タル藤, 峰ノ記, 原鎌足及多武, 封ノ時ニ出デ, 寛文六年ノ開, 寶物百五十五, サズ, シモノカ, 櫃, 編脩地誌備用典籍解題卷之五, 一五六
割注
- 刻本
- 一册
- (利次)
頭注
- 撰者ヲアラハ
- 日本紀以下雜
- 史ニ出タル藤
- 峰ノ記
- 原鎌足及多武
- 封ノ時ニ出デ
- 寛文六年ノ開
- 寶物百五十五
- サズ
- シモノカ
- 櫃
柱
- 編脩地誌備用典籍解題卷之五
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- 一五六
注記 (30)
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