『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 2 p.175

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かく寛文の頃の圖なる事しるへし、梶金平は本多の世々の家老なり、, あらはし、〓脂を加へて人の想像に便せり、圖背に明和八年卯二月野口道祐としるせり、, 大和國郡山城繪圖一鋪宮, 物若干を圖す、これも忠寄か手に出し本なり、, 寶物繪圖一卷者、元祿六癸酉五月十六日御開封御寶物御改之時、所圖畫也、仍今亦令清, 中務沒して二人みな取替ありしなり、圖中出雲樣御やしき、梶金平屋數なとあれは、と, されとその圖はふるきまゝをうつせしなるへし、按に、もとの城主本多内記寛文十一年, 十月晦日沒す、遺跡十五萬石を子中務え九萬石、出雲守へ六萬石と云々、其後延寶七年, 城中およひ廓内外に散在せる諸家臣の屋數及ひ神社佛閣等にいたるまてこと〳〵く是を, 長柄の鎗・唐の鐙・玉箒・碁磐・双六盤・鴨毛御屏風等の圖、奥書に右東大寺勅封三倉, 務奉行兼檢使、出世御後見以下五人の名を注せり、次に正倉院寶物圖、正倉圖およひ寶, 瑪瑙石御硯・象牙御笏・鏡・三鈷・唐銅御器・匙子・琵琶・青石笛・邱増如意・白瑪瑙, 書了、于時元祿六年癸酉九月日執行都維那祐想〓とあり、次に開封閉封月曰、勅使、寺, 書了、于時元祿六年癸酉九月曰執行都維那祐想〓, 圖ス, 明和八年野口, 社佛閣等悉ク, 城中及廓内外, 道祐寫, ニ散在セル諸, アラハス, 家臣ノ屋敷神, 大久保忠寄筆, 原圖ハ寛文頃, 藏開封ノ時ニ, 元祿六年勅封, 正倉院寶物圖, ノモノナラン, 別紀第二(大和), 一七五

頭注

  • 圖ス
  • 明和八年野口
  • 社佛閣等悉ク
  • 城中及廓内外
  • 道祐寫
  • ニ散在セル諸
  • アラハス
  • 家臣ノ屋敷神
  • 大久保忠寄筆
  • 原圖ハ寛文頃
  • 藏開封ノ時ニ
  • 元祿六年勅封
  • 正倉院寶物圖
  • ノモノナラン

  • 別紀第二(大和)

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  • 一七五

注記 (30)

  • 412,705,66,1741かく寛文の頃の圖なる事しるへし、梶金平は本多の世々の家老なり、
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