『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 2 p.277

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の開山となる事を略記し、末に二世榮順のことをものせたり、, なし、予道印に因て東海道五十三次の道法分間にあらはし、所々の景・村付ケ・馬次, を案るに、遠近道印といふ人江府の圖を始て一分五間の積りに五枚に編たて、又一分十, 下、俗名・法名・死去・討死等の事を細註せり、また次に、武田三河守より歴代七人の, 遠近道印撰、道印何の所の人なるをしらす、案るに、其名極て奇、おそらくは假托に出る, ならん、序跋ともに撰人をしるさす、卷末作者遠近道印と記しその花押をあらはす、序, 歴代の系圖を載せて、靖和天皇より勝三といへるものまて三十九人の實名をしるし、其, 五間の割を以て分間江戸の圖と題し正改す、其外一分四拾間之懷中之圖、分厘のたかへ, 東海道分間繪圖五帖, 五左衞門とて、扇谷上杉氏の胤なり、天文十五年父五郎朝定、川越討死後の事より此寺, 正嚴和尚の示寂の曰をしるし、寛正五甲申年七月廿四曰とあり、それよりまた、眞里谷, 弘徳寺は相州愛甲郡飯山郷千頭村にあり、山を親縁と號す、開山を榮西、俗稱は淺羽甚, 法名を擧て、下に卒曰を記せり、, 相模國弘徳寺由緒書, 刻, 刻, 十三次ノ道法, 因ミ東海道五, 分間江戸圖ニ, ヲ三分一町ノ, 相模國弘徳寺, 由緒書, 積ヲ以テアラ, 遠近道印撰, 弘徳寺開山及, 二世ノ記事, ハス, 別紀第四(東海道), 二七七

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  • 十三次ノ道法
  • 因ミ東海道五
  • 分間江戸圖ニ
  • ヲ三分一町ノ
  • 相模國弘徳寺
  • 由緒書
  • 積ヲ以テアラ
  • 遠近道印撰
  • 弘徳寺開山及
  • 二世ノ記事
  • ハス

  • 別紀第四(東海道)

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  • 二七七

注記 (29)

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