『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 2 p.412

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年丑卯月十六日宗圓より海野彌兵衞・朝倉六兵衞えあたふるもの一通、第二十八子五, 川氏眞なるへし、第廿二元龜二年辛未十月廿六日富士藏人へあたふる氏眞の文書一, 五慶長十七年子五月五日宗圓及ひ海野兵右衞門より海野彌兵衞・朝倉六兵衞えあたふる, 元の文書一通、第二十永祿四年辛酉七月廿曰富士兵部少輔へあたふる今川氏眞之文書, 通、第廿三丸子之内廣濟寺米方三十六俵の事と題するもの一通、文末を佚す、第廿, 月十八日朝倉藤吉・海野平三郎より海野彌兵衞・朝倉六兵衞へあたふるもの一通、第, 四代の略系を載す、是又古書に載たるを寫せしものなる歟、第十八元龜三年壬申五月, 一通、第廿一同六年十二月廿曰富士又八郎へあたふる上總介の文書一通、上總介は今, 二十九寛永十二年十一月九日寶泰寺えたまはりし御朱印一通、第三十元和三年二月三, 四元和二年辰卯月十八日海野彌兵衞・朝倉藤吉より宗圓老へあたふるもの四通、第〓, 十四日寶泰寺へあたふる信玄の文書一通、第十九三月八日富士宮若えあたふる今川義, もの一通、第二十六六月九日富士宮若へあたふる承芳の文書一通、第廿七慶長十八, 月十五日林際寺へあたふる信玄の文書一通、第十七今川國氏より氏堯にいたるまて十, 曰同斷御朱印一通、第三十一寛文五年七月十一日同斷御朱印一通、第三十二同日瑞, 龍寺え賜はりし御朱印一通、第三十三天正十八年八月廿二日瑞龍寺へあたふる太閤の, 編脩地誌備用典籍解題卷之九, 四一二

  • 編脩地誌備用典籍解題卷之九

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  • 四一二

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