『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 4 p.113

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〓〓一小册を以て〓るへきにあらす、, り、當國領主、後一條院寛仁中、藤原經教國司たる事をはしめ、武家になりて一色詮, を立す、はた次序を得さるもの多しといへとも、皆實録にして、怪誕に渉るものなし、, うつり、二男高三田邊に居り、同姓高信峯山えうつり、高三の子高直、高直の子高盛、, 範・山名滿幸・一色滿信・長岡藤孝等相ついて領せし事、又天正のころ、當國巨豪の十, の記を載たり、并永井尚長請ふ所なり、又江尻村一の宮の下に神寶數種をのせ、卷末丹, 社・寺院・名所・舊跡を雜記す、宮津城下犬の堂の下及天橋立、礒清水の下、鵞峯林氏, 等かはる〳〵領する事をしるし、次に宮津地形、城下寺院十七ヶ寺の名、及ひ城外の神, 十人の名氏を記し、長岡藤孝、其子忠興、京極高知、高知長男高廣不地を分ち、宮津に, 滅亡、永井尚征に賜り、其子尚長の時所替、阿部正盛に賜、その後奥平昌春・青山幸侶, 後一國の租税、宮津より近國道程を記し、その領主の名氏を記す、按るに、この書門目, 高盛の時所替、牧野親成田邊城え移り、代々領主たる事、又宮津城は高廣の子高國の時, 撰人をあらはさす、卷首に五郡の名をしるし、和銅中丹波を割て丹後國と名つくる事よ, 丹後國圖二鋪寫, 宮津ノ地形, 撰人ヲアラハ, 寺社名所舊跡, 當國領主ノ變, 皆實録ニ基ク, サズ, 遷, 別紀第十五(丹後), 一一三

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  • 宮津ノ地形
  • 撰人ヲアラハ
  • 寺社名所舊跡
  • 當國領主ノ變
  • 皆實録ニ基ク
  • サズ

  • 別紀第十五(丹後)

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  • 一一三

注記 (23)

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