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姫宮岳こは關東へ御下向之御事甚御ふつく〓あらせられ、, 宛, 御人質として被引司3被遊候御事は、王照君のためしとひとしく、殊フ敵中之冊こ御坐候へ, のミ御悲歎被臼仕御坐候田、然るュ右御愁心〓慰候者は只御腹樣并ニ石京大犬殿なと耳に, 一筆啓上仕候、追日秋冷相催候處、盆御機嫌克可被遊御座、珍重不斜千仔候、然し少子昨十, は、少之御安佚之日もあらせられましくなと、婦女之口々ニ御坐候へはかしましくのハし, り申上候もの耳之御坐候間、, 彦根藩一長野義言, 姫〓ユは御いたはしき御事、此度關東之夷ともに, 伺ひ申上、御所向樣子被相尋候處、今般, 主上之御叡慮、殿下-之御すゝめとは幵なから、さる敵國へ罷下候事いかなる宿業にてなと, 七口Π土町へ〓樣方へ罷出候處、十五・十六日日兩日駿河殿御養父入ユに宿下り有之候故、御, 五六八月十八日彦根藩執權職木俣守〓弊家臣大塚好道, ○本卷第九○號參看、, 和宮樣御縁邊に義之付、御所向局方大惑亂、各々口々ュ, 書状, 藏, 膳, j新, 江方二テ朝子, ヨリ伺ヒシ御, 女官等口々二, 所向ノ樣子ヲ, 昨十七日可烈, 宮モ憤ノ中, 今般ノ縁組ヲ, 非リセシ故和, 聞ク左ノ通リ, 居子重子徳子, (卷紙, 萬延元年八月, 一六五
割注
- 藏
- 膳
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- 江方二テ朝子
- ヨリ伺ヒシ御
- 女官等口々二
- 所向ノ樣子ヲ
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- 萬延元年八月
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- 一六五
注記 (32)
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