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十二3を以て歿した。, 體論・尊攘論に關するもの、第二には耶蘇教排撃に關するもの、及び第三には儒教, 幽谷に師事して彰考館に入つたが、漸次累進して文政九年總裁代役と爲り、郡奉, 其の名聲愈〻高くして、遠近より從學する者が多く、學識徳望共に海内の師表とし, 行を經て、天保二年總裁に進み、同十一年弘道館教授頭取・小性頭に任じた。其の, 徴せられるに至つた。弘化元年齊昭の幕譴を蒙つて隱居した時、正志齋も亦致, 間、藩主齊脩の繼嗣問題の起るや、幽谷の子東湖と共に敬三郎推戴のことに奔走, 腕にあつたのに反し、正志齋の特色は飽くまでも學究として著述に惠念する所, し、敬三郎襲封して齊昭と稱するに及んで、大いに登用せられ、屡〻政教上の意見を, 仕蟄居の身となり、憩齋と號を更めたが、嘉永二年十一月赦されて再び仕へ、爾來, て聞え、安政二年八月將軍家定に〓するの榮を擔つた。文久三年七月十四日、八, にあつた。試みに其の著書を見るに、優に五十餘部を算すべく、之を第一には國, 幽谷・東湖の二人は固より學者たりとは云へ、東湖の本領は經世濟民の政治手, 研究に關するものの三種に分類し得られる。第三に就いては姑らく措き、第一, 著書, 正志齋の, 第一編尊王論の發達, 一四〇
頭注
- 著書
- 正志齋の
柱
- 第一編尊王論の發達
ノンブル
- 一四〇
注記 (18)
- 833,574,56,603十二3を以て歿した。
- 345,570,74,2274體論・尊攘論に關するもの、第二には耶蘇教排撃に關するもの、及び第三には儒教
- 1709,579,64,2272幽谷に師事して彰考館に入つたが、漸次累進して文政九年總裁代役と爲り、郡奉
- 1039,580,73,2263其の名聲愈〻高くして、遠近より從學する者が多く、學識徳望共に海内の師表とし
- 1598,578,68,2265行を經て、天保二年總裁に進み、同十一年弘道館教授頭取・小性頭に任じた。其の
- 1259,578,76,2276徴せられるに至つた。弘化元年齊昭の幕譴を蒙つて隱居した時、正志齋も亦致
- 1485,575,68,2274間、藩主齊脩の繼嗣問題の起るや、幽谷の子東湖と共に敬三郎推戴のことに奔走
- 578,572,74,2274腕にあつたのに反し、正志齋の特色は飽くまでも學究として著述に惠念する所
- 1375,581,71,2265し、敬三郎襲封して齊昭と稱するに及んで、大いに登用せられ、屡〻政教上の意見を
- 1150,579,73,2270仕蟄居の身となり、憩齋と號を更めたが、嘉永二年十一月赦されて再び仕へ、爾來
- 930,579,71,2264て聞え、安政二年八月將軍家定に〓するの榮を擔つた。文久三年七月十四日、八
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