『維新史』 維新史 1 p.166

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

召にて、此一ケ條を卷尾に御記し遺させられたりと思ふぞ。, と記してゐるのであつた。, ゐたことが察知せられる。さればこそ茂矩は家訓を極祕の事として、, るが如くに、尾張藩亦木曾を根城にして戰ふべきことを家訓として傳へ、千村・山, 格別御隱密ナル御家訓ノ由ニテ、奧田主馬ト私兩人、御寢ノ間へ召サレテ御相, 更に又同書は、勤王の軍を起した際の軍略として、楠木正成が金剛山の嶮に據れ, 傳下サレヌ。, たる信念を抱き、萬一の場合には、朝廷の爲に幕府と一戰を交へようと決意して, 親附し置き、二心なきやうにすべしとの方略を論じてゐる。吉通が幕府を以て, 右の如く、尾張藩の尊王精神は藩祖義直に端を發し、第四代吉通の時に著しく, 村は幕府の旗下に馳せ參ずべきものであれば、下々に至るまでも恩惠を施して, 具體化せられたのであるが、此の思想を廣く藩士に迄普及せしめたのは、藩響明, 暗に北條・足利二氏に擬し、己れは幕府の臣下でなく、朝延の臣下であるとの確乎, 倫堂の設立であつた。明倫堂の起源は第八代宗勝, の時に發し、寛延元年三, 賢隆院, 戴公、, 明倫堂の, 設立, 第一編尊王論の發達, 一六六

割注

  • 賢隆院
  • 戴公、

頭注

  • 明倫堂の
  • 設立

  • 第一編尊王論の發達

ノンブル

  • 一六六

注記 (21)

  • 1708,658,57,1669召にて、此一ケ條を卷尾に御記し遺させられたりと思ふぞ。
  • 579,588,53,726と記してゐるのであつた。
  • 905,582,57,2014ゐたことが察知せられる。さればこそ茂矩は家訓を極祕の事として、
  • 1486,584,60,2266るが如くに、尾張藩亦木曾を根城にして戰ふべきことを家訓として傳へ、千村・山
  • 801,651,61,2195格別御隱密ナル御家訓ノ由ニテ、奧田主馬ト私兩人、御寢ノ間へ召サレテ御相
  • 1597,589,61,2260更に又同書は、勤王の軍を起した際の軍略として、楠木正成が金剛山の嶮に據れ
  • 696,652,56,327傳下サレヌ。
  • 1021,580,59,2271たる信念を抱き、萬一の場合には、朝廷の爲に幕府と一戰を交へようと決意して
  • 1255,574,59,2276親附し置き、二心なきやうにすべしとの方略を論じてゐる。吉通が幕府を以て
  • 460,650,62,2195右の如く、尾張藩の尊王精神は藩祖義直に端を發し、第四代吉通の時に著しく
  • 1371,577,60,2272村は幕府の旗下に馳せ參ずべきものであれば、下々に至るまでも恩惠を施して
  • 349,586,62,2255具體化せられたのであるが、此の思想を廣く藩士に迄普及せしめたのは、藩響明
  • 1139,575,58,2277暗に北條・足利二氏に擬し、己れは幕府の臣下でなく、朝延の臣下であるとの確乎
  • 232,587,58,1456倫堂の設立であつた。明倫堂の起源は第八代宗勝
  • 228,2195,58,645の時に發し、寛延元年三
  • 217,2058,40,125賢隆院
  • 260,2059,43,97戴公、
  • 489,336,40,161明倫堂の
  • 445,335,40,79設立
  • 1826,727,46,516第一編尊王論の發達
  • 1831,2370,38,109一六六

類似アイテム