『維新史』 維新史 3 p.48

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を血祭に擧げて關東の氣勢, 認めて之を八郎に與へ、以て遊説の途に上らしめることとした。, 鐵兵衞・河上彦齋、豐後の小河一敏、薩摩の美玉三平・是枝柳右衞門等に與ふる書を, と云へるが如く、當時青蓮院宮尊融法親王は相國寺中の桂芳院に蟄居遊ばされ、, 獅子王院宮と稱せられてゐたが、其の令旨を矯めて天下の志士を募り、且つ宮と, 的な計畫としては、先づ宮を奉じて義兵を擧げ、然る後天皇を奉戴して天下の諸, 十一月十五日、八郎は五郎・尚平と共に京都を發し、大坂より海路下關に到り、白, 侯及び草莽の士民に號令し、所司代酒井忠義, 書翰を草せしめ、自らも當春九州遊歴の時に知己となつた肥後の松村大成・大野, 親交のある忠愛によつて志士を動かさうとしたのであつた。而して其の具體, を奪ひ、更に夷狄を征して、我が三千年來の皇威を囘復しようとするにあつたの, 石正一郎の許に一泊して、九州に渡つた。夫より小倉・松崎を經て肥後の高瀬に, であつた。斯くて河内介は此の計畫に基き、忠愛を説いて薩州藩の志士に送る, 到り、十二月二日に松村大成を訪れた。當初八郎は東都詩文書の遊學士である, 故鎭西志士、往々有請〓者。皆河内所結也。、, 小濱藩主, 若狹守, 州遊説, 八郎の九, 第九編雄藩の國事斡旋, 四八

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  • 小濱藩主
  • 若狹守

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  • 州遊説
  • 八郎の九

  • 第九編雄藩の國事斡旋

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  • 四八

注記 (21)

  • 1175,2060,59,809を血祭に擧げて關東の氣勢
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  • 697,554,62,2312鐵兵衞・河上彦齋、豐後の小河一敏、薩摩の美玉三平・是枝柳右衞門等に與ふる書を
  • 1647,559,61,2325と云へるが如く、當時青蓮院宮尊融法親王は相國寺中の桂芳院に蟄居遊ばされ、
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