『維新史』 維新史 3 p.582

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都に來住して尊攘派の志士と交り、吉村寅太郎とは最も親交があつた。, に及んで、忠光は再び出奔するに至つた。, 深かつた。彼が土佐勤王派の錚々たる人物である事は、今又述べる必要はなく、, 天誅組擧兵の際には寅太郎を中心に元土州藩士十餘名が參加し、其の中心勢力, 日夜志士と往來して時には歸邸しなかつた。同月十三日大和行幸の詔が出る, 者は何人であつたらうか。土佐の吉村寅太郎, に於いて塾を開き、長沼流の軍學を講じた。又文筆に長じて諸方に知られ、早く, より尊攘の志を懷いて志士と交遊したのである。刈谷藩士松本奎堂も亦少壯, の頃江戸に遊學し、一度び藩地に歸つたが、更に江戸の昌平黌に學び、文久元年京, となつた。藤本鐵石は備前藩士であつて、つとに〓藩し、諸國を遊歴して後伏見, 者とする。寅太郎は多くの志士中最も〓繁に中山邸に出入し、忠光との交渉が, た。時に攘夷親征の論が囂々として起り、八月八日以降忠光は又家に止まらず、, しからば中山忠光を擁して、大和に討幕の兵を擧げようとした事實上の指導, 本奎堂, 參河の松, の三人が、天誅組の中心人物であり、就中吉村寅太郎を以て其の主謀, 備中の藤本鐵石, 眞金, 謙三郎, 津之助, 郷, 重, 衡, 中心人物, 天誅組の, 第三章八月十八日の政變第四節大和の變, 五八三

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  • 眞金
  • 謙三郎
  • 津之助

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  • 中心人物
  • 天誅組の

  • 第三章八月十八日の政變第四節大和の變

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  • 五八三

注記 (27)

  • 338,557,66,2048都に來住して尊攘派の志士と交り、吉村寅太郎とは最も親交があつた。
  • 1652,557,55,1147に及んで、忠光は再び出奔するに至つた。
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  • 926,553,65,2303天誅組擧兵の際には寅太郎を中心に元土州藩士十餘名が參加し、其の中心勢力
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  • 692,554,65,2301に於いて塾を開き、長沼流の軍學を講じた。又文筆に長じて諸方に知られ、早く
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