『維新史』 維新史 3 p.44

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

して志士等と擧兵討幕の計畫を〓らすに至つたのである。, 地に因んで清河八郎と稱した。少にして不覊、十八歳の時、家を〓して江戸に出, 伊牟田尚平, 弟の義を結ぶに至つた。後、更に安積艮齋に師事し、又昌平鬢に入り、傍ら劍を千, らずして、清河八郎が東國より來訪して、幕府の暴状を告げるに會し、是に〓然と, 勢力を有するに至つたのであつた。同年の夏、河内介が京都に歸るや、幾ばくな, 等とは舊交があつたが、今や前後數囘, に亙る九州遊歴によつて、同志の徒は忽ちに増加して、是に西國志士に鬱然たる, 清河八郎は天保元年出羽國東田川郡清川村に生る。名は正明、芻蕘と號し、生, 於いて注目すべきは、實に國臣・大成等との關係が生じた事實であり、既に薩州の, で、儒者東條一堂の塾に學んだが、端なくも同門の安積五郎, 葉周作に修めて、帷を神田の三河町に下した。嘉永以降屡京坂・四國・九州に遊ん, 訪れ、太宰府を經て歸洛の途に就いた。是を要するに、河内介今次の九州遊歴に, 書いて贈つた。次いで河内介は國臣の東道により肥後の高瀬に松村大成, で見聞を廣め、殊に同六年には遠く蝦夷地を跋渉して形勢を探り、歸途房總地方, と肝膽相照し、兄, ・是枝柳右衞門, 美玉三平, を, 東海, 武貞, 輔, 文, 貞, 古, 至, 茂, 親, 時, 清河八郎, 第九編雄藩の國事幹旋, 四四

割注

  • 東海
  • 武貞

頭注

  • 清河八郎

  • 第九編雄藩の國事幹旋

ノンブル

  • 四四

注記 (32)

  • 932,569,57,1709して志士等と擧兵討幕の計畫を〓らすに至つたのである。
  • 699,567,58,2313地に因んで清河八郎と稱した。少にして不覊、十八歳の時、家を〓して江戸に出
  • 1408,566,56,328伊牟田尚平
  • 454,563,60,2311弟の義を結ぶに至つた。後、更に安積艮齋に師事し、又昌平鬢に入り、傍ら劍を千
  • 1049,566,60,2311らずして、清河八郎が東國より來訪して、幕府の暴状を告げるに會し、是に〓然と
  • 1166,562,61,2307勢力を有するに至つたのであつた。同年の夏、河内介が京都に歸るや、幾ばくな
  • 1403,1799,60,1073等とは舊交があつたが、今や前後數囘
  • 1283,566,62,2304に亙る九州遊歴によつて、同志の徒は忽ちに増加して、是に西國志士に鬱然たる
  • 815,632,59,2245清河八郎は天保元年出羽國東田川郡清川村に生る。名は正明、芻蕘と號し、生
  • 1521,567,59,2301於いて注目すべきは、實に國臣・大成等との關係が生じた事實であり、既に薩州の
  • 572,569,57,1689で、儒者東條一堂の塾に學んだが、端なくも同門の安積五郎
  • 337,560,62,2313葉周作に修めて、帷を神田の三河町に下した。嘉永以降屡京坂・四國・九州に遊ん
  • 1638,566,61,2311訪れ、太宰府を經て歸洛の途に就いた。是を要するに、河内介今次の九州遊歴に
  • 1757,566,64,2177書いて贈つた。次いで河内介は國臣の東道により肥後の高瀬に松村大成
  • 218,563,62,2309で見聞を廣め、殊に同六年には遠く蝦夷地を跋渉して形勢を探り、歸途房總地方
  • 576,2418,57,457と肝膽相照し、兄
  • 1406,1301,55,411・是枝柳右衞門
  • 1406,967,54,267美玉三平
  • 1770,2830,46,45
  • 559,2300,41,84東海
  • 603,2299,41,83武貞
  • 1392,1249,38,42
  • 1746,2765,40,39
  • 1436,1736,39,37
  • 1791,2765,42,39
  • 1395,1739,37,33
  • 1440,910,38,37
  • 1434,1250,42,39
  • 1390,911,41,40
  • 827,306,41,169清河八郎
  • 1878,722,48,594第九編雄藩の國事幹旋
  • 1880,2434,38,77四四

類似アイテム