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して、位記をも返上するに至つた。, た程であつた。然るに嘉永六年以降、國事漸く繁多を加へるや、河内介は意を朝, 内介に任じて從六位に敍せられ、主家の家政に獻替することが甚だ多かつた。, されば忠能の河内介を遇すること亦厚く、特に己が二子忠愛・忠光の教育を託し, とがあつた。次いで安政三年には自ら西遊して肥前島原の廢墟を探り、轉じて, 河内介が西國志士と氣脈を通ずるに至つたのは相當に古いことで、既に嘉永, 權の恢弘に致して、屡〻策を忠能に獻じ、大いに爲す所あらんとせるも、時機未だ至, 能の侍讀に選ばれたが、遂に其の家臣田中近江介の養子と爲つて家督を繼ぎ、河, 〓居中であつたので、親しく膝を交へて會談するを得ず、仍つて其の子主馬より, 井上靜軒に就いて學び、天保十一年京都に出でて帷を下し、同十四年參議中山忠, 筑後の久留米に到つて眞木和泉を訪れようとしたが、會和泉は下妻郡水田村に, らずして用ゐられず、爾後二人の間は兎角意志の疏通を缺き、遂に河内介は籠居, が京都に抵れる際、之と義兄弟の交を結んだこ, 年間、久留米の北有馬太郎, 田中河内介、名は綏猷、文化十二年但馬國出石郡香住村に生る。夙に出石藩儒, 村貞太郎, 百之、中, 田中河内, 河内介と, との關係, 西國志士, 介, 第九編雄藩の國事斡旋, 四二
割注
- 村貞太郎
- 百之、中
頭注
- 田中河内
- 河内介と
- との關係
- 西國志士
- 介
柱
- 第九編雄藩の國事斡旋
ノンブル
- 四二
注記 (24)
- 825,571,59,956して、位記をも返上するに至つた。
- 1176,569,60,2315た程であつた。然るに嘉永六年以降、國事漸く繁多を加へるや、河内介は意を朝
- 1410,566,61,2261内介に任じて從六位に敍せられ、主家の家政に獻替することが甚だ多かつた。
- 1294,573,60,2307されば忠能の河内介を遇すること亦厚く、特に己が二子忠愛・忠光の教育を託し
- 453,571,61,2311とがあつた。次いで安政三年には自ら西遊して肥前島原の廢墟を探り、轉じて
- 708,637,59,2247河内介が西國志士と氣脈を通ずるに至つたのは相當に古いことで、既に嘉永
- 1058,564,61,2313權の恢弘に致して、屡〻策を忠能に獻じ、大いに爲す所あらんとせるも、時機未だ至
- 1525,569,64,2309能の侍讀に選ばれたが、遂に其の家臣田中近江介の養子と爲つて家督を繼ぎ、河
- 212,571,65,2316〓居中であつたので、親しく膝を交へて會談するを得ず、仍つて其の子主馬より
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- 333,564,63,2319筑後の久留米に到つて眞木和泉を訪れようとしたが、會和泉は下妻郡水田村に
- 941,568,60,2315らずして用ゐられず、爾後二人の間は兎角意志の疏通を缺き、遂に河内介は籠居
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