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四變後の情勢, 日に至り、藩士西郷信吾等二十餘名は之を本國に還し、眞木和泉等諸藩の志士は, を航行中、河内介・瑳磨介父子は薩州藩士の爲に斬殺、屍體は直ちに海中に投ぜら, えて七日、郁太郎等も亦同じく薩州藩士の爲に日向細島港で殺された。思ふに, 寺田屋の變後、島津久光は大久保一藏等と志士・浪人の處分を議し、四月二十七, れ、翌日讚岐小豆島に漂著したが、慘酷目を覆はしめるものがあつたといふ。越, 之を其の藩に引渡すことに決した。而して此等浪士は歸藩後夫々罪せられた, 嚴重に警固せられて大坂を發し、海路鹿兒島に向つた。然るに五月朔日播磨灘, が、就中最も史上に憐れを留めたのは、田中河内介父子等であつた。即ち河内介, がなかつたので、鹿兒島に送還することになり、四人は薩州藩士二十餘名と共に, 此の悲慘事は、薩州藩の要路が河内介等を目するに、薩州藩士を煽動して變事を, 及び其の子瑳磨介、河内介の甥千葉郁太郎、中村主計・海賀宮門は之を托すべき處, を負ひ、翌日伏見藩邸に於いて自刃を命ぜられた。世に之を寺田屋の變と謂ふ。, 國送還, 田中河内, 志士の本, 介の殺害, 第二章薩州藩の進出第三節寺田屋の變, 九一
頭注
- 國送還
- 田中河内
- 志士の本
- 介の殺害
柱
- 第二章薩州藩の進出第三節寺田屋の變
ノンブル
- 九一
注記 (19)
- 1647,975,54,456四變後の情勢
- 1401,560,64,2304日に至り、藩士西郷信吾等二十餘名は之を本國に還し、眞木和泉等諸藩の志士は
- 687,566,65,2303を航行中、河内介・瑳磨介父子は薩州藩士の爲に斬殺、屍體は直ちに海中に投ぜら
- 455,566,64,2303えて七日、郁太郎等も亦同じく薩州藩士の爲に日向細島港で殺された。思ふに
- 1523,631,64,2234寺田屋の變後、島津久光は大久保一藏等と志士・浪人の處分を議し、四月二十七
- 570,566,67,2306れ、翌日讚岐小豆島に漂著したが、慘酷目を覆はしめるものがあつたといふ。越
- 1283,562,64,2303之を其の藩に引渡すことに決した。而して此等浪士は歸藩後夫々罪せられた
- 803,562,67,2307嚴重に警固せられて大坂を發し、海路鹿兒島に向つた。然るに五月朔日播磨灘
- 1161,560,65,2310が、就中最も史上に憐れを留めたのは、田中河内介父子等であつた。即ち河内介
- 929,565,63,2304がなかつたので、鹿兒島に送還することになり、四人は薩州藩士二十餘名と共に
- 335,566,67,2304此の悲慘事は、薩州藩の要路が河内介等を目するに、薩州藩士を煽動して變事を
- 1044,560,67,2311及び其の子瑳磨介、河内介の甥千葉郁太郎、中村主計・海賀宮門は之を托すべき處
- 1876,567,64,2315を負ひ、翌日伏見藩邸に於いて自刃を命ぜられた。世に之を寺田屋の變と謂ふ。
- 1492,301,41,124國送還
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- 239,2428,40,66九一







