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彦齋, の小倉に赴き、翌年四月まで滯在したのであつた。, 子瑳磨介, 中河州至自島原。主人説大事。河能領意」と記してゐるのは、此の時のことであ, の道を遠しとせず、豐後の岡に赴いて小河一敏を訪れた。一敏と河内介との關, る。越えて同五年十一月に至るや、河内介は再び西國志士の歴訪を志して豐前, に出でたが、會〻同地に於いては筑前の志士平野國臣, じて、歸途に就いた。和泉が「南遷日録」同年五月十一日の條に、「午前兵馬來報曰、田, 係は、既に安政の初年より互に信書を往復して意見を鬪はしてゐたのであるが、, 櫻田門外の變が生じてより、時運は愈〻幕府に非に、諸國の志士は何れも風雲に, 加屋榮太, 乘じて、尊攘の大義に活躍せんとするに至つた。河内介も亦文久元年正月其の, 末の隱士田中作八郎清風と假稱して河内介を訪ね、聾を裝うて筆談を交へ、歌を, を携へて筑前の太宰府に下り、更に雪中四十里, 是に始めて會見したのである。其の後肥後の阿蘇に大宮司惟善を訪れて熊本, 和泉の意の存する所を審かにし、後更に久留米藩士池尻茂左衞門始と國事を談, 及び甥千葉郁太郎, が大野鐵兵衞, 河上, 等と交遊を重ねてゐた時であつたので、國臣は初めは長州清, 太田黒, 伴雄, 猷, 嘉, 郎, 徳, 明, 玄, 霧, 胤, 堅, 二, 平野國臣, 小河一敏, 松村大成, 河内介と, との交渉, 第二章薩州藩の進出第一節尊攘浪士の活躍と九州志士の蹶起, 四三
割注
- 太田黒
- 伴雄
- 猷
- 嘉
- 郎
- 徳
- 明
- 玄
- 霧
- 胤
- 堅
- 二
頭注
- 平野國臣
- 小河一敏
- 松村大成
- 河内介と
- との交渉
柱
- 第二章薩州藩の進出第一節尊攘浪士の活躍と九州志士の蹶起
ノンブル
- 四三
注記 (39)
- 440,561,56,119彦齋
- 1391,565,56,1431の小倉に赴き、翌年四月まで滯在したのであつた。
- 1033,562,56,257子瑳磨介
- 1625,561,60,2300中河州至自島原。主人説大事。河能領意」と記してゐるのは、此の時のことであ
- 910,562,65,2310の道を遠しとせず、豐後の岡に赴いて小河一敏を訪れた。一敏と河内介との關
- 1508,562,63,2303る。越えて同五年十一月に至るや、河内介は再び西國志士の歴訪を志して豐前
- 561,567,61,1498に出でたが、會〻同地に於いては筑前の志士平野國臣
- 1744,563,62,2299じて、歸途に就いた。和泉が「南遷日録」同年五月十一日の條に、「午前兵馬來報曰、田
- 793,554,67,2329係は、既に安政の初年より互に信書を往復して意見を鬪はしてゐたのであるが、
- 1272,624,62,2239櫻田門外の變が生じてより、時運は愈〻幕府に非に、諸國の志士は何れも風雲に
- 441,756,56,266加屋榮太
- 1156,560,61,2300乘じて、尊攘の大義に活躍せんとするに至つた。河内介も亦文久元年正月其の
- 322,556,65,2314末の隱士田中作八郎清風と假稱して河内介を訪ね、聾を裝うて筆談を交へ、歌を
- 1037,1516,59,1352を携へて筑前の太宰府に下り、更に雪中四十里
- 677,560,63,2313是に始めて會見したのである。其の後肥後の阿蘇に大宮司惟善を訪れて熊本
- 1860,563,59,2300和泉の意の存する所を審かにし、後更に久留米藩士池尻茂左衞門始と國事を談
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- 749,302,39,165との交渉
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