『維新史』 維新史 3 p.51

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て幸にも有馬新七, 等と, 高に赴き、水田村より密かに來れる和泉と會して今後の方略を議した。, とて、鎭西志士の蹶起を促さんが爲に、鼎藏等を歸國せしめることとした。八郎, 大いに喜び、十三日中山忠愛を招請して密議する所があつた。幾ばくもなく宮, 迄には至らなかつた。是に於いて八郎は翌二十五日國臣・尚平と共に筑後の瀬, 等激徒の錚々たる士と會するを得た。要するに國臣・尚平の入薩は、恰も薩州藩, 會見し、二十九日國臣と袂別の辭を交し、尚平と共に發足、翌晦日岡城下に抵つて, 藤閣老襲撃の報が傳はつたので、八郎等は此の機會に乘じて義擧を決行すべし, の西國遊説の苦心は今や漸く實を結び、年來の宿望將に遂げられんとするに至, に於いては藩論の一定に勗めてゐた際であつたので、充分なる成功を贏ち得る, 部鼎藏及び大成の子松村深藏, 斯くて八郎は一旦肥後の高瀬に〓れる後、再び熊本に赴いて宮部鼎藏, 行して九日兵庫に著き、十一日入京して委細を田中河内介に報じた。河内介は, 小河一敏を訪ねて越年した。文久二年正月七日、八郎は豐後の三佐港を發し、舟, 等が上京して八郎等と談合せる際、端なくも安, ・柴山愛次郎, ・田中謙助, ・橋口壯助・美玉三平・是枝柳右衞門, 美, 夫, 義, 明, 増, 道, 隆, 正, 正, 盛, 明盛, 義擧の密, 八郎の歸, 議, 京, 第二章薩州藩の進出第一節尊攘浪士の活躍と九州志士の蹶起, 五一

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  • 明盛

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  • 義擧の密
  • 八郎の歸

  • 第二章薩州藩の進出第一節尊攘浪士の活躍と九州志士の蹶起

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  • 五一

注記 (36)

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  • 1042,556,60,2307小河一敏を訪ねて越年した。文久二年正月七日、八郎は豐後の三佐港を發し、舟
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