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の茂久の直書のこともあつたこととて、茲に齊の遺志を繼承し、公武の間に盡, 今日、斯かる大志を懷いて上京するは、尚早であるとて反對したが、容れられずし, る誠忠組一派は日置派の主義主張を快しとせずして相軋り、遂に大久保一藏・有, 主たる島津左衞門, 村武次・堀次郎等は久光より最も信任せられてゐた中山中左衞門に近づき、日置, 而も其の黨は老成著實にして、保守的傾向を帶びるの傾なきに非ず。急進派た, 力せんと決心した。左衞門等は、藩情猶統一を缺いて庶政の運用充分ならざる, 藩情一變して、擧藩勤王に向はんとすると共に、大島龍郷に幽居中の吉之助も, て遂に辭意を洩らすに至つた。文久元年十月久光は左衞門の辭職を聽許する, 一派排斥の計畫を廻らすに至つた。久光は誠忠組の運動に動かされ、且つは曩, 亦當然召還せられるに至つた。初め島津久光が藩政を後見するや、日置郷の領, り、何れも齊彬の遺志を遵奉して王事に勤めんとしてゐた。是を日置派といふ。, と共に、其の一派と目すべき輩にも轉職或は退隱を命じ、喜入攝津, は島津豐後に代つて上席家老に拔擢せられ、田尻務・桂右衞, 蓑田傳兵衞, を上席家老, 米良助右衞門・種子島乘左衞門等、其の傘下に集, ・椎原與三次, 門, 徴, 久, 胤, 長, 高, 武, 久, 幹, 久, 國, 門の辭職, 島津左衞, と喜入攝, 津の任命, 第九編雄藩の國事斡旋, 六八
割注
- 徴
- 久
- 胤
- 長
- 高
- 武
- 幹
- 國
頭注
- 門の辭職
- 島津左衞
- と喜入攝
- 津の任命
柱
- 第九編雄藩の國事斡旋
ノンブル
- 六八
注記 (35)
- 697,556,76,2313の茂久の直書のこともあつたこととて、茲に齊の遺志を繼承し、公武の間に盡
- 463,550,76,2315今日、斯かる大志を懷いて上京するは、尚早であるとて反對したが、容れられずし
- 1048,559,79,2310る誠忠組一派は日置派の主義主張を快しとせずして相軋り、遂に大久保一藏・有
- 1544,561,61,532主たる島津左衞門
- 933,554,78,2311村武次・堀次郎等は久光より最も信任せられてゐた中山中左衞門に近づき、日置
- 1167,555,80,2309而も其の黨は老成著實にして、保守的傾向を帶びるの傾なきに非ず。急進派た
- 580,556,76,2303力せんと決心した。左衞門等は、藩情猶統一を缺いて庶政の運用充分ならざる
- 1762,627,79,2234藩情一變して、擧藩勤王に向はんとすると共に、大島龍郷に幽居中の吉之助も
- 341,553,82,2310て遂に辭意を洩らすに至つた。文久元年十月久光は左衞門の辭職を聽許する
- 815,567,78,2299一派排斥の計畫を廻らすに至つた。久光は誠忠組の運動に動かされ、且つは曩
- 1645,559,80,2308亦當然召還せられるに至つた。初め島津久光が藩政を後見するや、日置郷の領
- 1287,557,75,2327り、何れも齊彬の遺志を遵奉して王事に勤めんとしてゐた。是を日置派といふ。
- 224,556,74,1909と共に、其の一派と目すべき輩にも轉職或は退隱を命じ、喜入攝津
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