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二久光の志士鎭撫, 薩州藩の捕吏に捕へられて、鬼界ケ島に流〓せられたのであつた。, 十三日淀川を遡つて伏見の藩邸に入り、十六日入京して直ちに近衞忠房に〓し、, からしめ、且つ從士の半數を大坂藩邸に留め、以て浪士の鎭壓に備へた。次いで, して、私かに諸藩士・浪人に面會し、命を受けずして猥りに諸方に奔走することな, 文久二年四月十日、島津久光は兵庫を發して大坂に著いたが、堅く藩士等に諭, 議奏中山忠能・同正親町三條實愛列座の前で、入洛・出府の事由を陳じ、其の抱懷せ, 藩廳の忌憚に觸れて獄舍に繋がれるに至つた。而して尚平も亦追踪し來れる, る改革趣意書九箇條を呈した。其の要は、戊午の大獄に罪を獲たる青蓮院宮を, 諫止した。齊薄は已むを得ず、病と稱して駕を囘らして歸國したが、國臣は當然, 東にありては一橋慶喜・徳川慶勝・松平慶永等の愼を解き、老中安藤信行を退職せ, 始め奉り、近衞忠熙・鷹司政通・同輔熙の愼を解き、忠熙を以て關臼に任ずべく、又關, 稱して、齊薄の駕を播磨國大藏谷に迎へ、京坂の形勢を説いて上京の不可なるを, と投獄, 久光の入, 藏谷迎駕, 國臣の大, 京と建議, 第二章薩州藩の進出第三節寺田屋の變, 八一
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- と投獄
- 久光の入
- 藏谷迎駕
- 國臣の大
- 京と建議
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- 第二章薩州藩の進出第三節寺田屋の變
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- 八一
注記 (20)
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- 681,538,62,2313議奏中山忠能・同正親町三條實愛列座の前で、入洛・出府の事由を陳じ、其の抱懷せ
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