『維新史』 維新史 3 p.183

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り、以て陵前に拜跪する者をして敬虔の念を湧起せしむることに努めた。而し, に入り、翌十二月八日歸京したが、途中陵域の年貢地と化せる場所の餘りに多き, 義助, 千五百兩と〓算して、之は幕府より出資を仰ぐ方針であつた。斯くて十一月七, て一陵平均の工事費を五百五十五兩と見積つて、百陵に要する總經費を五萬五, らず、強ひて之を劃一にせんと欲せば、多大の經費と勞力とを要するのみならず、, 日、和三郎は外記等を隨へて京都を發し、奈良・飛鳥・吉野の諸地を巡つて河内・和泉, 却つて古制を失はんことを慮り、舊形をよく保存せしめるにあつた。斯くして, 周湟を復し、周堤に柵を設け、御拜所を作り、陵名を刻せる石標を立て、神明門を造, も之に加へ、次いで二十二日には和三郎を山陵奉行に任じ、後更に從五位下に敍, し、大和守を授けさせ給うた。渺たる宇都宮の一藩老を特に敍任して、諸大夫に, 列し、又從來山陵の調査に與つてゐた谷森外記・村井政禮・豐島泰盛・平塚瓢齋・北浦, 和三郎の修陵方針は、山陵の制が時代によつて變遷し、陵形區々にして一樣な, 愛を山陵修補用掛に任じ、後議奏中山忠能・權中納言徳大寺實則・參議阿野公誠を, 等を諸陵調方として、鋭意事に當らしむるに至つたのであつた。, 政, 定, 和三郎の, 修陵方針, 第二章幕政の改革第三節朝廷の尊崇, 一八三

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  • 和三郎の
  • 修陵方針

  • 第二章幕政の改革第三節朝廷の尊崇

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  • 一八三

注記 (21)

  • 806,562,58,2309り、以て陵前に拜跪する者をして敬虔の念を湧起せしむることに努めた。而し
  • 327,570,59,2305に入り、翌十二月八日歸京したが、途中陵域の年貢地と化せる場所の餘りに多き
  • 1404,564,52,116義助
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  • 1159,562,60,2323らず、強ひて之を劃一にせんと欲せば、多大の經費と勞力とを要するのみならず、
  • 445,571,61,2305日、和三郎は外記等を隨へて京都を發し、奈良・飛鳥・吉野の諸地を巡つて河内・和泉
  • 1041,560,61,2310却つて古制を失はんことを慮り、舊形をよく保存せしめるにあつた。斯くして
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