『維新史』 維新史 3 p.184

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津藩主藤堂高猷, 主秋元志朝, 亦家臣北浦義助の意見に基き、光仁天皇陵・施基皇子陵・早良, 河内國丹北郡にあるを陳べて、其の修補を幕府に願ひ出で、越えて文久三年正月、, 陵の美事ば、慶應元年に至つて完了し、和三郎は厚く賞せられて、下野高徳に於い, 靡然として起れる結果と見るべきであらう。斯くして文久年間に始まれる修, て一萬石の大名に取立てられることとなつた。其の顛末は後に又説くであら, 親王陵の修補を願ひ出でて、共に許された。思ふに、これ宇都宮藩主の建議に傚, 先づ神武天皇陵より著手することとなつたのであつた。此の時に當り、館林藩, ひたるものなりとは云へ、皇陵を壯にして、朝廷尊崇の實を擧げんとするの氣運、, に一驚せる爲、直ちに所司代に對して、百姓に替地を爲さしむべきことを申請し、, の意見に基き、十月に至り、雄略天皇陵が領地, は家臣岡谷〓吾, う。, 第四節庶政の革新, 和泉, 但馬, 實, 繁, 守, 守, 館林津二, 藩の建議, 第十編朝權の確立, 一八四

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  • 和泉
  • 但馬

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  • 館林津二
  • 藩の建議

  • 第十編朝權の確立

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  • 一八四

注記 (25)

  • 1297,561,57,457津藩主藤堂高猷
  • 1536,566,57,323主秋元志朝
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