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の山陵修理に關する, に之を幕府に建議するに至つたのであつた。, 擲の活動を試みる如きは、決して當を得たるものに非ず、寧ろ蒲生君平の遺志を, 一族として祿八千石を食み、夙に幼主忠恕を輔けて藩政を改革し、財政を整理し、, 文武を奬勵する等、功は多かつたが、尊王の赤誠禁じ難くして、萬延元年には潛か, に藩士を上京せしめ、正親町三條實愛が藩主と姻戚なるを利用して、尊攘の大義, 建議であつて、實に家老間瀬和三郎, を行はうとしたことがあつた。會藩士大橋訥菴・菊池澹如等が坂下門外の變に, 繼いで、王事に勤むるを可とすと建策せる爲に、和三郎の意は山陵修補に動き、遂, 陳に及んだ。時に慶永は、公然建議に及ばば便宜を取計らふべき旨を答へたの, 〓して微衷を陳述し、其の容れられるや、更に政事總裁職松平慶永にも決意を開, 連坐逮捕せられるの事件が生じ、藩の立場は一時不利に陷つたが、恰も訥菴の門, 斯くて文久二年七月三日、和三郎と勇記とは先づ東下中なる勅使大原重徳に, 斯かる趨勢の時に現れたのが宇都宮藩主戸田忠恕, の畫策に係るのである。和三郎は主家の, 人たる郡奉行縣勇記, が和三郎に對して、宇都宮藩は譜代の小藩なれば、乾坤一, 越前, 信, 緝, 守, 至, 忠, の修陵建, 戸田忠恕, の山陵修, 郎縣勇記, 間瀬和三, 補の議, 議, 第十編朝權の確立, 一八〇
割注
- 越前
- 信
- 緝
- 守
- 至
- 忠
頭注
- の修陵建
- 戸田忠恕
- の山陵修
- 郎縣勇記
- 間瀬和三
- 補の議
- 議
柱
- 第十編朝權の確立
ノンブル
- 一八〇
注記 (32)
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- 567,579,58,1288に之を幕府に建議するに至つたのであつた。
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