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の容保に對する御倚頼の念は厚く、隨つて尊攘急進派の人々は、少からず同藩の, を試み、其の相手に東北の雄藩で、京都守護の任に當る會津藩を選んだのであつ, たであらう。眞木和泉の如きは夙に此の點に著眼し、二藩の提携を計つたが、未, 存在を嫌惡したのである。されば重要な朝議を行ふに當つても、急進派の堂上, したが、恨むらくは二藩互に獨自の立場を持して提携せず、反つて反目嫉視して, 以降、闕下警衞の重責に當り、公武合體派の諸藩の間に隱然重きを爲した。天皇, は容保を敬遠して、一として下問するといふやうな事がなかつた。八月十三日, 歩調は一致しなかつたのである。此の間の事情は既に述べた所であるが、若し, 薩長二雄藩が聯合して事を行うたならば、其の成果は刮目に値するものがあつ, だ成功しなかつたのである。而して薩州藩は形勢挽囘を策して、雄藩との聯合, に至つて、〓如攘夷親征の詔が下るに及び、會津藩士の激〓は甚しく、中には容保, に京都守護職の辭職を勸める者もあつたが、容保は先般の宸翰によつて叡慮の, 會津藩主松平容保は文久二年閏八月京都守護職となり、同年十二月著任して, た。, 尊攘派, 會津藩と, 第十一編尊攘運動の展開, 五五四
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- 尊攘派
- 會津藩と
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- 第十一編尊攘運動の展開
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- 五五四
注記 (18)
- 683,565,82,2300の容保に對する御倚頼の念は厚く、隨つて尊攘急進派の人々は、少からず同藩の
- 1160,570,78,2297を試み、其の相手に東北の雄藩で、京都守護の任に當る會津藩を選んだのであつ
- 1392,575,81,2300たであらう。眞木和泉の如きは夙に此の點に著眼し、二藩の提携を計つたが、未
- 561,561,81,2307存在を嫌惡したのである。されば重要な朝議を行ふに當つても、急進派の堂上
- 1744,584,82,2292したが、恨むらくは二藩互に獨自の立場を持して提携せず、反つて反目嫉視して
- 805,565,82,2307以降、闕下警衞の重責に當り、公武合體派の諸藩の間に隱然重きを爲した。天皇
- 439,561,83,2304は容保を敬遠して、一として下問するといふやうな事がなかつた。八月十三日
- 1627,574,84,2305歩調は一致しなかつたのである。此の間の事情は既に述べた所であるが、若し
- 1512,570,84,2302薩長二雄藩が聯合して事を行うたならば、其の成果は刮目に値するものがあつ
- 1273,570,84,2305だ成功しなかつたのである。而して薩州藩は形勢挽囘を策して、雄藩との聯合
- 319,561,77,2305に至つて、〓如攘夷親征の詔が下るに及び、會津藩士の激〓は甚しく、中には容保
- 197,559,80,2301に京都守護職の辭職を勸める者もあつたが、容保は先般の宸翰によつて叡慮の
- 928,634,80,2234會津藩主松平容保は文久二年閏八月京都守護職となり、同年十二月著任して
- 1072,570,54,63た。
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- 1882,734,49,642第十一編尊攘運動の展開
- 1868,2395,42,121五五四







