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總奉行毛利能登, して、居城を萩より山口に徙した。, 小輔・野村和作・吉田榮太郎等數十人は、相前後して山口に歸り、四月二十六日藩廳, 即ち岡部富太郎, 關海峽には、既に毛利能登が配下の守兵を部署してゐたが故に、今新に彼等を守, ・山田市之允・久坂玄瑞・瀧彌太郎・入江九一・山縣, より敵情偵察の命を受けて下關に赴き、海峽の守備に加はつた。彼等は曩に藩, をして之を監せしめた。又萩は僻地にして、封内に號令する, 廳に對して攘夷の先鋒に加はらん事を請うたが、〓ね輕輩の出身であり、且つ下, 尋いで滯京中の長州藩世子毛利定廣は、朝廷より暇を賜つて、四月二十一日京, 督して、沿岸の要地に砲臺構築の工を急ぎ、續々守兵を遣して警備を嚴にし、海防, 夷の先鋒たらんとする意氣に燃え、相踵いで京都より急行して藩地に歸つた。, に便ならず、加ふるに海邊に位して要害に乏しきが故に、毛利慶親は湯治を名と, 都を發し、藩地に歸つて警備に當つたが、同じく在京中の長州藩士も亦、孰れも攘, 恰も雨期に際して、經營意の如く進捗しなかつたが、晝夜兼行多數の農夫・役夫を, を注ぎ、長崎より砲術家中島名左衞門, を招聘して、砲臺築造を督せしめた。時, 太田市之進, 御堀, 耕助, 勝, 美, 濟, 利, 喜, 元, 第二章攘夷の實行第四節下關の外國艦船砲撃, 五一一
割注
- 御堀
- 耕助
- 勝
- 美
- 濟
- 利
- 喜
- 元
柱
- 第二章攘夷の實行第四節下關の外國艦船砲撃
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- 五一一
注記 (28)
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