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主龜井茲監, に動かされ、和泉の解囚を行ふに至つたのである。, 米藩要路も事の重大なるを察してか、藩士をして早馬を以て其の跡を追はしめ、, に和泉等解囚の斡旋を説いた。茲監は書を慶頼に致し、和, 士を久留米に派して解囚に斡旋せしめた。, 切に久留米に引還す事を請うた。忠光も其の請を容れて再び久留米に至つた, 泉等の一件は有馬家の浮沈に係る大事であると警告して、善處を要望し、且つ藩, の人々は尚も和泉の身邊を窺ひ、何時襲撃するかも知れなかつたので、藩廳も憂, 忠光は五月十一日長州藩士瀧彌太郎・同赤禰幹之丞等を隨へて久留米に至り、藩, 主・重臣等に會見しようとしたが拒絶せられたので、忠光は大いに怒り、長州藩兵, を動かして事を行ふべしと揚言し、「國賊可棄」とて久留米を去つた。流石に久留, が、時に長州藩士山縣九右衞門等も亦至つたので、久留米藩廳も遂に此等の運動, 會京都を〓して馬關に滯在中の元侍從中山忠光も亦、和泉の救解に乘出した。, 慮し、直ちに和泉に上京すべきを命じた。釋放後僅かに五日にして、和泉は東上, 五月十七日和泉を始めとし、尊攘派の人々二十餘名は解囚せられた。守舊派, 久留米藩主有, 馬慶頼の兄, 中山忠光, 囚と上京, の幹旋, 和泉の解, 第十一編尊攘運動の展開, 五四〇
割注
- 久留米藩主有
- 馬慶頼の兄
頭注
- 中山忠光
- 囚と上京
- の幹旋
- 和泉の解
柱
- 第十一編尊攘運動の展開
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- 五四〇
注記 (23)
- 1757,570,55,323主龜井茲監
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