『維新史』 維新史 3 p.597

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等の十津川退去を請ふに至つた。頼みとする十津川郷士が離反しては、最早如, シテ影闇ク、露ヲ含ミ、白雲半腹ヲ〓リテ遠見スル事能ハス。或ハ倒レタル大, 此日登リ三里ニ下リ三里ノ山路、晝夜兼行ニヨリ大峰山上へ暫ク野宿ス。全, 北山郷中浦向村ニソ著ニケル。, 命を奉じて歸郷し、郷人に忠光等の一黨との分離を説いた爲、十五日郷士は忠光, が相踵いだ。加ふるに在京中の十津川郷士上平主税・榊木總兵衞等が中川宮の, 漸々ニシテ麓ヨリ左へ下ル物カラ、惣勢大ニ勞レ、空腹ヲ凌キテ翌二十日夕刻, 目眩ク、高屏ト聳タル絶頂ニハ戰々トシテ足進マス。見モナレヌ大木茂々ト, 體十津川山中ノ嶮岨ハ世上ニ見サル所ナリ。空幽タル深谷ニハ競々トシテ, 木道ニ横ハリ、尖レル巖石路ニソヒへ、實ニ人跡絶タル所鳥獸ノ及ハサル處ヲ, と記してゐる。此所より更に西に進んで尾鷲方面に向はうとしたが、既に諸藩, 兵の此の方面の警戒が嚴重であると知つて、間道を選んで北行し、吉野方面から, 何ともし難く、同郷を去つて血路を紀州尾鷲の方面に開かうとし、十九日十津川, 郷を去つて西に向つた。山中の險路を歩む一行四十餘人の姿は、, 北山郷中浦向村ニソ著ニケル。(大和戰爭日記), (大和戰爭日記), 十津川郷, を去る, 第十一編尊攘運動の展開, 五九八

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  • 十津川郷
  • を去る

  • 第十一編尊攘運動の展開

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  • 五九八

注記 (20)

  • 1498,562,65,2301等の十津川退去を請ふに至つた。頼みとする十津川郷士が離反しては、最早如
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  • 1735,573,63,2287が相踵いだ。加ふるに在京中の十津川郷士上平主税・榊木總兵衞等が中川宮の
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