『維新史』 維新史 5 p.148

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たのである。, 幟を鮮明にするに至つた。, て京都を挾撃するの風聞さへも傳はつたので、彦根藩は阿州・平戸・大洲・大村・佐, 等の來り投ずる者頗る多く、與黨千餘人に及び、南方にあつて鬱然たる勢力を, の勝利が略〻確定的となるや、畿内・西國の諸藩は漸く藩論を一にして勤王の旗, て政局の推移を觀望する有樣であつた。然るに鳥羽・伏見の戰に於いて、官軍, を四方に飛して有志の士を募つた。是を聞いて諸藩の志士及び十津川郷士, 僅かに數藩に過ぎず、多くは藩論容易に決定を見るに至らず、首鼠兩端を持し, 門守衞の任に當つた。やがて鳥羽・伏見の戰起るや、江戸より舊幕兵が西上し, れた。されば會津・桑名二藩士は、彦根藩の態度に對して深く憤〓の念を懷い, 土原諸藩と倶に、兵を大津に出して京都東方の要衝を扼すべきことを命ぜら, 併しながら以上擧げ來れる如く、旗幟を鮮明にして勤王を聲言したものは, 曩に慶應三年十二月十二日侍從鷲尾隆聚は朝命を奉じて高野山に登り、檄, んで闕下を守護し奉らんことを奏請して、早く勤王の態度を明かにし、四塚關, 第一章鳥羽・伏見の戰第三節徳川慶喜の東歸, 一四九

  • 第一章鳥羽・伏見の戰第三節徳川慶喜の東歸

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  • 一四九

注記 (16)

  • 1258,547,51,350たのである。
  • 685,545,57,772幟を鮮明にするに至つた。
  • 1595,543,65,2312て京都を挾撃するの風聞さへも傳はつたので、彦根藩は阿州・平戸・大洲・大村・佐
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  • 914,545,66,2313て政局の推移を觀望する有樣であつた。然るに鳥羽・伏見の戰に於いて、官軍
  • 451,543,64,2316を四方に飛して有志の士を募つた。是を聞いて諸藩の志士及び十津川郷士
  • 1024,540,68,2317僅かに數藩に過ぎず、多くは藩論容易に決定を見るに至らず、首鼠兩端を持し
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