『維新史』 維新史 4 p.27

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あらうと憂慮し、大坂留守居に命じて直ちに歸國するやうに取計らはしめた。, かず、遂に入京したのである。, 併し大坂に在る宍戸左馬介は、玄瑞等の議を評して, 者が五十餘人の多きに及んだ。藩廳では彼等が京都に於いて暴擧を企てるで, と述べ、未だ其の時機でないと、固く執つて動かなかつた。よつて兩者各〻所見を, 人の間〓を窺ひ御出京は御武威の處如何可有之哉, して再び上坂の途に就いた。藩廳は、遊撃・干城の二隊より來島又兵衞・河北義次, 逸せず強ひて世子が上京し、闕下に伏奏して宿寃を辯疏すべきであるとした。, 郎等十二人を選抜して同行せしめたが、他に藩命を待たないで密かに上坂した, 藩士中にも、長州藩に同情する者が多かつたので、又兵衞及び玄瑞等は、此の機を, 上坂した又兵衞は入京の志止み難く、小五郎玄瑞及び因州藩士等の制止をも聽, 仰き冀くは公然の道を, 曩に久坂玄瑞は京都の情勢を齎して藩地に歸つたが、三月二十五日山口を發, 四月下旬より五月上旬に亙つて公武合體派の諸大名が退京し、京坂にある諸, 開らき御入京被遊、公明正大之御事業を被爲遂候樣、(忠正公一代編年史), 略, 中, 世子定廣, 來島又兵, 上京の議, 衞等の上, 坂, 第一章禁門の變第二節池田屋の變, 二七

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  • 世子定廣
  • 來島又兵
  • 上京の議
  • 衞等の上

  • 第一章禁門の變第二節池田屋の變

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  • 二七

注記 (24)

  • 1408,577,56,2230あらうと憂慮し、大坂留守居に命じて直ちに歸國するやうに取計らはしめた。
  • 1177,579,55,804かず、遂に入京したのである。
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  • 1754,582,58,2277して再び上坂の途に就いた。藩廳は、遊撃・干城の二隊より來島又兵衞・河北義次
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