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絶つ。, と定めたが、後之を左の通り變更した。即ち、, んて大佛殿に據る。, 一、福原越後一手大津・三井寺へ陣を轉し、膳所・水口を説得し、伊勢路を絶つ。, 一、毛利讚岐守樣御一手伏水・桃山邊に陣を被居、福原越後を互に應援を爲し、進, 三毛利定廣及び三條實美等の出發, 十二・三日の間と定めて、之を藩内に布告した。又京坂に於ける諸軍の部署を、, 一、盆田右衞門介一手樫原邊に陣を居へ、天龍寺・寶寺の應援を爲し丹波街道を, 社の附近に屯した。かくて福原越後・國司信濃・盆田右衞門介の三家老は、洛外に, 毛利定廣の東上は、夙に決定してゐたのであるが、七月二日愈〻發途を此の月の, 右衞門介は一先づ長州藩邸に入り、更に淀川を遡つて十四日橋本に著し、石清水, 一、若殿樣御進發天龍寺へ御陣を被居、御駈引被遊候。(忠正公一代編年史, 陣營を布いて、京都の形勢を窺つてゐた。, 定廣上京, 期日の布, 告, 第一章禁門の變第三節長州藩三家老等の上坂嘆訴, 四九
頭注
- 定廣上京
- 期日の布
- 告
柱
- 第一章禁門の變第三節長州藩三家老等の上坂嘆訴
ノンブル
- 四九
注記 (18)
- 899,732,52,128絶つ。
- 314,602,57,1275と定めたが、後之を左の通り變更した。即ち、
- 553,745,56,527んて大佛殿に據る。
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- 669,673,70,2193一、毛利讚岐守樣御一手伏水・桃山邊に陣を被居、福原越後を互に應援を爲し、進
- 1360,1003,59,1056三毛利定廣及び三條實美等の出發
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