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窺はしめた。, 川邦太郎・鹽谷鼎助も同地に來り、經幹の意見を述べて、, ニ御名義不相立次第ニ立至候付而ハ、首謀之面々御取締被仰付、是を以天朝え, たので、慶親も亦同地に向つた。尋いで徳山藩主毛利元蕃・長府藩主毛利元周, 何なる事變が起るやも計り難いとて、藩士一統の覺悟を促し、且つ藩の諸關門の, いて世子定廣と會見せんとした。定廣は五卿と共に上ノ關より三田尻に至つ, 今度京師之變動ハ出先三大夫以下參謀之者共、御主意を取違意外之及暴動、遂, 二十六日毛利慶親は、名を沿岸兵備の巡視に藉りて山口を發し、室津, 取締を嚴にせしめた。此の日又家老清水清太郎, 口に來らん事を要請せしめ、更に使を藝州・因州・備前の三藩に派して、其の動靜を, して、今般京都に於いて大變が起つたが、未だ委細は明かでない。併し此の後如, べきを命じ、又井原主水を徳山・岩國に差遣して、毛利元蕃, 究も亦來り會し、茲に善後策に就いての會議が行はれた。會吉川經幹の使者香, 及び吉川經幹の山, に赴, に、京都に赴き後事を處理す, 御申開被遊、御名義御取返之御所置被爲在度。(吉川經幹周旋記), 上ノ關, の對岸, 淡路, 知, 親, 守, 京, 左, 三田尻の, 意見, 會議と吉, 毛利慶親, 等三日尻, 川經幹の, に走く, 第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情
割注
- 上ノ關
- の對岸
- 淡路
- 知
- 親
- 守
- 京
- 左
頭注
- 三田尻の
- 意見
- 會議と吉
- 毛利慶親
- 等三日尻
- 川經幹の
- に走く
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- 第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情
注記 (33)
- 1303,552,55,335窺はしめた。
- 711,554,55,1553川邦太郎・鹽谷鼎助も同地に來り、經幹の意見を述べて、
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- 948,553,58,2223たので、慶親も亦同地に向つた。尋いで徳山藩主毛利元蕃・長府藩主毛利元周
- 1775,558,57,2273何なる事變が起るやも計り難いとて、藩士一統の覺悟を促し、且つ藩の諸關門の
- 1066,557,57,2285いて世子定廣と會見せんとした。定廣は五卿と共に上ノ關より三田尻に至つ
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- 1534,558,56,1607べきを命じ、又井原主水を徳山・岩國に差遣して、毛利元蕃
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