『維新史』 維新史 4 p.494

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經幹名代今田靱負は二十三日迄に夫々廣島に到著した。, 廣島に赴かしむべきことを決した。斯くて備後助は小田村素太郎等を隨へ、又, 封、敬親・廣封の蟄居、興丸の家督相續を命じ、三支藩主及び吉川經幹に對しては、經, 五月朔日長行は長州藩代表者を國泰寺に召見した。備後助は足疾の爲出で, 支藩主等に對する幕命を傳達した。幕命の内容は、宗藩に對しては、十萬石の削, ず、三支藩主及び吉川經幹の各名代のみが赴いた。席上長行は長州藩主並びに, 以て藩主父子孫の名代となし、三支藩主及び吉川經幹も老臣を名代として出し、, 瀬兵衞・佐世八十郎・林主税・山縣半藏, 毛利元周名代毛利伊織・毛利元蕃名代福間式部・毛利元純名代平野郷右衞門・吉川, を以て、是等を早々廣島に差出すべしと達した。三支藩主及び經幹の名代は、宗, 此の間に長州藩は、廣島出頭期限の猶豫を請ひ、四月十一日には、宍戸備後助を, 幹は支藩主等と協議し、宗家を扶け、領内を鎭靜すべしと令した。別に高杉晉作・, 藩名代を差措き、宗藩の處分令を我等に交附するは不當なりと陳情したが、長行, ・村田次郎三郎・佐々木男也・波多野金吾・天野謙吉・北條, ・太田市之進の十二名は訊問の廉ある, 桂小五郎・小田村文助, 即ち小田, 備後助, 村素太郎, 即ち宍戸, 國泰寺に, 於ける幕, 命傳達, 第十五編第二囘征長の役, 四九四

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  • 即ち小田
  • 備後助
  • 村素太郎
  • 即ち宍戸

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  • 於ける幕
  • 命傳達

  • 第十五編第二囘征長の役

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  • 四九四

注記 (25)

  • 1268,543,57,1619經幹名代今田靱負は二十三日迄に夫々廣島に到著した。
  • 1506,537,58,2283廣島に赴かしむべきことを決した。斯くて備後助は小田村素太郎等を隨へ、又
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