『維新史』 維新史 4 p.246

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妄動を止めたのである。, 發し、實は海路室津に赴いて世子定廣と會して對策を協議しようとしたが、同日, 主は重臣を會して外艦防禦の方策を講ぜしめたが、議央ばにして世子定廣の使, 此の朝世子定廣は三田尻に到著し、直ちに大觀樓に入つて藩主に〓し、長府・清末, 川經幹は病の爲、會議に列することが出來ず、家臣を遣して、禁門の變の首謀者を, げた。因つて慶親は二十七日三田尻大觀樓に於いて、軍事の大會議を開いた。, 圖を議し、特に外艦來襲に對する和戰の議に關して反覆論究したが、此の内外多, 徳山の三支藩主も山口より三田尻に來つて、長州藩主父子と會見した。支族吉, 處分し名分を明かにすべき旨を上申した。翌二十八日には長州藩主父子・徳山, 二十六日長州藩主毛利慶親は沿岸防備巡視の爲、花岡に赴くと稱して山口を, 宮市より世子の使者が來り、今夕特に五卿と共に三田尻に向はんとする旨を告, 者國貞直人が來つて京都の變報を報じた。因つて一藩に戒飭して、家臣の輕擧, 藩主毛利元蕃・長府藩主毛利元周・清末藩主毛利元純及び重臣を大觀樓に會し、後, 端の際、姑く外人と講和すべきに決した。恰も是の頃外艦姫島に集結すとの報, 三田尻會, 議, 第十四編外交の轉機, 二四六

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  • 三田尻會

  • 第十四編外交の轉機

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  • 二四六

注記 (18)

  • 1501,581,52,668妄動を止めたのである。
  • 1256,581,61,2283發し、實は海路室津に赴いて世子定廣と會して對策を協議しようとしたが、同日
  • 1727,585,62,2280主は重臣を會して外艦防禦の方策を講ぜしめたが、議央ばにして世子定廣の使
  • 911,579,60,2288此の朝世子定廣は三田尻に到著し、直ちに大觀樓に入つて藩主に〓し、長府・清末
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  • 1027,583,61,2230げた。因つて慶親は二十七日三田尻大觀樓に於いて、軍事の大會議を開いた。
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