『維新史』 維新史 4 p.335

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して七十餘名であつた。, 兼飜譯方石橋助十郎, であつた。即ち、文久二年十月幕府は神奈川奉行支配の役員子弟を教育する目, 類燒し、一旦廢校となつたが、間もなく復興せられた。, た。慶應二年二月之を奉行所定役の官舍に移轉したところ、同年十月の大火に, つた。併し幕府が此處に公然と語學所を設置したのは開港後數年を經てから, 慶應元年二月幕府は先づ川路太郎, 的を以て、運上所前の官舍内に英學校を開いた。教師には神奈川奉行手附通詞, した。初め太田村陣屋に假校舍を設けたが、慶應元年八月に至り、辨天通の新校, 記官メルメ、デ、カションが當り、横濱駐在の佛國士官ビユラン等が之を補助した、, 留する者日を追うて多くなり、從つて當時最も重要な西洋文化移入の關門であ, 名に入所を命じた。次いで約六箇月を經て、第二期生が入所したが、一・二期生合, 元治年間、幕府は佛國公使ロッシュの勸説を容れ、横濱に佛語學傳習所を設立, 舍に移轉した。學校の事務は外國奉行が總管し、教授上の事には、佛國公使館書, 長田〓之助等の十六, 同太田源三郎及び米國神學博士ブラウン等が任ぜられ, ・栗本貞次郎, 其の人數は不明, 栗本鯤, 第三期生迄あるも, 聖謨嫡孫, 後寛堂, 養子, 政, 方, 横濱英學, 學傳習所, 横濱佛語, 所, 第三章新條約國と西洋文化の移入第二節洋學の奬勵, 三三五

割注

  • 其の人數は不明
  • 栗本鯤
  • 第三期生迄あるも
  • 聖謨嫡孫
  • 後寛堂
  • 養子

頭注

  • 横濱英學
  • 學傳習所
  • 横濱佛語

  • 第三章新條約國と西洋文化の移入第二節洋學の奬勵

ノンブル

  • 三三五

注記 (31)

  • 356,578,54,672して七十餘名であつた。
  • 1418,576,56,591兼飜譯方石橋助十郎
  • 1651,577,58,2282であつた。即ち、文久二年十月幕府は神奈川奉行支配の役員子弟を教育する目
  • 1183,573,56,1492類燒し、一旦廢校となつたが、間もなく復興せられた。
  • 1297,578,59,2278た。慶應二年二月之を奉行所定役の官舍に移轉したところ、同年十月の大火に
  • 1763,580,57,2273つた。併し幕府が此處に公然と語學所を設置したのは開港後數年を經てから
  • 593,573,59,1003慶應元年二月幕府は先づ川路太郎
  • 1535,576,57,2286的を以て、運上所前の官舍内に英學校を開いた。教師には神奈川奉行手附通詞
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  • 1877,578,56,2275留する者日を追うて多くなり、從つて當時最も重要な西洋文化移入の關門であ
  • 473,575,58,2284名に入所を命じた。次いで約六箇月を經て、第二期生が入所したが、一・二期生合
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  • 826,574,62,2287舍に移轉した。學校の事務は外國奉行が總管し、教授上の事には、佛國公使館書
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