『維新史』 維新史 4 p.358

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命を完からしめた。, 次いで翌三年三月、薩州藩は更に藩士仁禮平助, ベッキ塾で語學を傳習し、洋行の志望を懷いてゐたのであるが、其の後計畫進捗, に鑑み、慶應二年の初めに至り、藩士石丸虎五郎・馬渡八郎, て、密かに英國に留學せしめた。兩名は渡英の後、專ら工學を學び、又翌三年佐野, 渡航した。兩名は豫て平四郎の勸奬に依り、神戸の海軍操練所或は長崎のフル, 又同年の春には熊本藩士横井平四郎, 榮壽左衞門等が藩命を帶びて巴里博覽會に出張した時は、之を案内して能く使, があつたが、愼重な藩主鍋島齊正は容易に之を許可しなかつた。併し遂に時勢, した森金之丞・市來勘十郎等も亦幾許もなくして米國に渡航するに至つた。, し、慶應二年の春、左平太は伊勢佐太郎、大平は沼川三郎と變名し、帆船に搭じて長, の兩名を逃亡と稱し, 部以下村橋直衞・名越平馬・高見彌一・町田申四郎の五名を召還した。此の時殘留, 等五名を米國に留學せしめたので、代りに在英の町田民, の二甥左平太・大平も亦、密かに米國に, 諸藩中最も洋學の盛であつた佐賀藩に於いても、亦夙に海外渡航を志すもの, ・江夏壯助・種子島敬輔・吉原彌, 次郎, ・湯池治左衞門, 楠, 範, 基, 俊, 定, 小, 景, 重, 俊, 邁, 留學生, 佐賀藩の, 留學生, 熊本藩の, 第十四編外交の轉機, 三五八

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  • 留學生
  • 佐賀藩の
  • 熊本藩の

  • 第十四編外交の轉機

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  • 三五八

注記 (35)

  • 661,589,55,532命を完からしめた。
  • 1728,648,56,1337次いで翌三年三月、薩州藩は更に藩士仁禮平助
  • 310,595,58,2266ベッキ塾で語學を傳習し、洋行の志望を懷いてゐたのであるが、其の後計畫進捗
  • 1012,588,58,1598に鑑み、慶應二年の初めに至り、藩士石丸虎五郎・馬渡八郎
  • 894,584,58,2281て、密かに英國に留學せしめた。兩名は渡英の後、專ら工學を學び、又翌三年佐野
  • 425,585,58,2268渡航した。兩名は豫て平四郎の勸奬に依り、神戸の海軍操練所或は長崎のフル
  • 545,651,55,1061又同年の春には熊本藩士横井平四郎
  • 776,581,59,2282榮壽左衞門等が藩命を帶びて巴里博覽會に出張した時は、之を案内して能く使
  • 1129,585,58,2278があつたが、愼重な藩主鍋島齊正は容易に之を許可しなかつた。併し遂に時勢
  • 1361,586,58,2162した森金之丞・市來勘十郎等も亦幾許もなくして米國に渡航するに至つた。
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